周縁のポエティカ・2024
textes/notes/音楽
written 2024/9/9
2024年9月23日、札幌市ザ・ルーテルホールでのコンサート(実質、私の作曲個展)「周縁のポエティカ・2024」がいよいよ2週間後に迫ってきた。
構想・イベントテーマの探索、準備や演奏の練習に費やしてきた1年間はあっという間に経過してしまい、もはや逃げ道のないところまで追い込まれた。
コンサートの内容等については特設サイトに記載したのでここでは省略する。
前売りチケットはとうから販売しているが、どうもさっぱり売れていないようだ。これは予想してはいたことで、作曲家としても演奏者としてもまったく知られていない私の名前を出して、さしてつながりのあるわけでもない札幌の「音楽シーン」に向かって突然「コンサートやります」などと宣言したところで、注目される要素など全く無い。
ザ・ルーテルホールのキャパは最大216席だが、まあ、普通に考えて20〜30人くらいの集客ではないか。良くてキャパの1/4である50人くらい。それは必然的な想定ではあるが、自分はともかく、せっかく曲を練習して演奏してくださる出演者の方々ががっかりするのは申し訳ない。100人も来てくれたら感涙の大成功だが、そうはならないだろう。
先行するクラシック系コンサートのプログラムに自分のとこのチラシを折り込ませていただく、という定番の作業を7月くらいからぼちぼちやってきたが、何しろ苫小牧から札幌に通うのは時間(と金)がかかるし、生活上の雑事とぶつかったりして狙ったコンサートに駆けつけることができないなどということもあり、結局「そこそこ」しかやれなかった。
チラシというのも、悪い意味で個性まるだしで、集客を目指そうという意図なんぞさらさらなく、自分自身の満足を追求した文言はクセが強くヘンクツであって、こうやって自分の風変わりな特性を打ち出してそれでもなおかつ興味を持ってくれるような「特殊な人」だけが来てくれたらそれでいい。などといういつもの調子なのである。絶対に万人受けしないし、相当マニアックな価値を追求している「おかしなヤツ」についてきてくれるような「特殊な人」は、しかし、やはり全然巷間に存在しないらしく、予想どおりチケットはまるで売れていないようだ。
客が集まらず莫大な赤字を抱えて終わることは最初から想定済みだから、自分としてはそれでいいつもり。それでも、常識的基準では「大失敗」な興行に終わるというそのみすぼらしさを思うと、それが自分の人生にはふさわしいのか、と幾らかの哀しみもないではない。
一方で、24ページもあって、昔の私の絵なんぞも入り、コラムなどというコーナーも盛り込んだフルカラーのプログラム冊子、これだけは、私は「つくったなあ」と満足している部分だ。唯一の達成感は、この冊子かもしれない。
これも当初から予想できていたことながら、コンサート当日が近づくにつれ心は不安に襲われまくり、どうせ自分の音楽なんてものは誰にも評価されはしないんだ、という事前からの絶望のうちに重くなってしまう日も増えてくる。
子供の頃より大勢の人の前に立つのは苦手で、自分は「みんな」の中心から少し離れたところにひっそりとたたずんでいる、という対集団スタンスは、かなり遺伝子関連に起因するのか、小さい頃は娘もそんなところがあった。足が遅く競争には勝てる見込みは全くないし、人の上に立ちたいなんて全然思わないし、こういう生来の性質は私の場合生涯変わることなく、ここに来て大それた「作曲個展コンサート」なんぞやってみて予想どおり興行的に大失敗してあえなく沈没する、そんな筋書きがあまりにも決まり切っているわけだ。
コンサートがついに終演を迎えたときに私を取り囲むだろう、人の非難や侮蔑の声が今から聞こえてくるようにも感じられ、これまで以上に私は居場所がなくなり、まさしく隠遁を余儀なくされるのだろう。
廃人まっしぐらである。
自意識の狂奔のなかで、さて私は何かをやり遂げはして、力尽きて、ステージ上でめでたく死を遂げるのだろうか。
9月23日、札幌に来られる方で、自らを屠る供犠ショーにご興味のある方は、チケットをどうぞ。(道新プレイガイド、チケットぴあ)
来られない遠隔地の方は、リアルタイムのほか、10月7日まで繰り返し視聴できる有料動画配信をどうぞ。(ツイキャス)
<feeedback>
■ この記事はいかがでしたか?
2 point / 投票数 1 ##
2206611