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ワーズ・ブロックス Words Blocks (今野博之Bar. 今野くる美Pf.)

musique/composition/声楽曲

written 2021/9/12


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2021/9/5 札幌市ザ・ルーテルホール
 今野博之Bar. 今野くる美Pf.
初演時録音
作詞作曲:田中信義(2020/3/22完成)

スコア:
http://www.signes.jp/musique/Vocal/WordsBlocks/WordsBlocks_Score.pdf
バリトン・パート譜:
http://www.signes.jp/musique/Vocal/WordsBlocks/WordsBlocks_Baritone.pdf
ピアノ・パート譜:
http://www.signes.jp/musique/Vocal/WordsBlocks/WordsBlocks_Piano.pdf

プログラム・ノート:
 ラップのような「話し言葉に似た音型」をバリトン声楽に持ち込みつつ、ポピュラーミュージックに接近し、かつ、バランスを図った現代歌曲作品。
 とりわけポピュラーミュージックにおいては、音楽が日常言語にも似て「昨日話されたのと同じように話される」特性を備えていることに着目し、そうした発話(パロール)のありようを、音楽上の本質的な現象の一つとして認識し、その可能性を探究しようと試みた。

 2021年9月5日日曜日、札幌市中央区大通りにあるザ・ルーテルホールにて、北海道作曲家協会主催の「第7回北海道の作曲家展」が開催され、その中で私の作品「ワーズ・ブロックス」がバリトン歌手今野博之さん・ピアニスト今野くる美さんによって初演された。
 
 もともとシーケンサー/コンピュータで音楽を作って一人で喜んでいるだけのDTMerである私は、演奏家の方に曲を演奏して貰うようなことには馴染みが無かった。DTMerは演奏家も兼ねているからだ。
 ところが、2011年に作品「時の生成 Genesis of Time」をヴァイオリニスト前田ただしさんがTwitter上で「これ演奏していいか?」と問い合わせされ、エクアドルのコンサートにて、スピーカーから鳴らすエレクトロニクスの音源に合わせてヴァイオリン独奏をして下さったのが、「演奏される」経験の最初だった。これにはもの凄く感動した。
 以降、DTM音源と一緒に楽譜もちゃんと整形してネットに公開するようにしたところ、何故か幾つかの作品が海外の演奏家の方に目にとまり、イタリア・ロシア・コロンビア・アメリカそして日本で演奏していただく機会に恵まれた。
 自分で曲を作り、そのプロセスがそのままコンピュータ上で「演奏」「録音」まで完結する孤独なDTMのスタイルとは異なる、クラシック音楽における「分業」(作曲者と演奏者との分離)の体制に合わせることに、私は未だに違和感を持ち不慣れである。楽譜の書き方が今ひとつよく分かっていない。自分自身がピアノ演奏において一番慣れ親しんだJ. S. バッハの楽譜は強弱記号も表情記号も何もない形でそれが多様な解釈を許容しているのだが、19世紀以降はもっと「こう演奏せよ」という作曲家の厳格な指示が明確化され、時代とともにどんどん厳密化されてゆく。シマノフスキの楽譜なんか、もの凄く細かく演奏指示が書き込まれているのだが、そういうのはどうも私にはしっくりこない。私なら、演奏家が解釈というクリエイトを挟むことを歓迎したい。
 しかし楽譜に詳しく指示を書き込まなかった場合は演奏家の自由な解釈を許すことになり、作曲者がまったく予想していなかったような演奏が出てきて非常に驚愕する場合がある。それを避けたければ、楽譜にたくさん指示を書き込むしかない。
 未だに「楽譜の書き方」とか「各楽器の演奏上の都合」といった基礎知識を私はよく分かっていないのだから、やはり自分は一人で完結するDTMだけやっていれば良いのだろうなあ、としばしば思う。ただその場合、機械の生み出す音とは次元の異なる、豊かな音を発声するナマ楽器の素晴らしい可能性には決して届かないもどかしさを感じることになる・・・。
 加えてその難しさは、礼儀が苦手で他者とのコミュニケーションにいつも一定の不安がつきまとう私の日常的な生における難しさと結び付いている。

 自分のクラシック・スタイル(現代音楽)の曲がときどき演奏されるようになって来て、それまではインターネットの中で虚像のような・記号のような他者たちとのつながり(それは必然的に「夢の中の」事象である)しか持たなかった私は、(記号の向こうに実在する)生身の他者である演奏家たちとも徐々にナマのコミュニケーションを持つようになって行き、したがってこれまで仮想空間の中に限って展開されていた<私の音楽活動>が<リアルな生活空間>にまで侵食を始め、いろいろと金もかかるようになった末、一応それが引き金となって2019年に離婚、家族を失う結果を呼び込んだという事実は興味深い。
 夢の事象との防壁の決壊による日常生活の崩壊。音楽というものの破壊性。その強さ。

 2017年に北海道作曲家協会に加入したのは、ひょんなことから、日本現代音楽界のかなり著名なおs一人で北海道在住の、南聡さんに勧められたのがきっかけだった。協会が主催し毎年秋に開催する「北海道の作曲家展」の当日のお手伝いに出かけるようになり、そうした中で「自分もいつか自作を出品してみたい」ような野心を持つに至ってしまった。作品の審査はないので、会員が出品の意思表明をすれば先着順で出品が決定される。2020年の「第7回北海道の作曲家展」にとうとう出品しようと決め、バリトンとピアノのための歌曲作品「ワーズ・ブロックス」を準備した。演奏者は前年に出演されていた方、今野博之さんと今野くる美さんのお二人にお願いすることにした。
 私のような浅学非才なアマチュアが拙い楽曲を出品して、音楽を基礎から正しく学んで該博な先輩方に「こんなもん出しやがって」と叱責されそうな気がして内心はビクビクしていた。おまけに、私が出品したせいで出品したかった他の会員さんが出品できなくなることにもなるので、なんだか申し訳なさでいっぱいになる。
「ワーズ・ブロックス」を書き上げた2020年3月には、既に日本にも突然のコロナ禍が到来し、全国の公立小中学校が1ヶ月以上も休校するという異常な事態に至っていた。そのコロナ禍のおかげで、2020年9月に予定された「第7回北海道の作曲家展」は1年後に延期が決定された。
 今年2021年9月あたりは、新型コロナウィルスの「デルタ株」が流行し、感染者数がまたもや増加、おりしも北海道にも「緊急事態宣言」が出されたから、やはり中止になるかと危ぶまれたが、感染症対策を行った上で開催することが決まった。作品を書き上げて1年半後に、ついに私の曲が初演されることになったのだ。 
 

「ワーズ・ブロックス」は当初ラップにしようと思ったものの途中から路線変更して書き直し、「話す」ことを模したりしてすこぶるメカニカルな音符が並んだため、ソルフェージュ等で幾ら鍛えたクラシック歌手であってもこれは相当難しい。ピアノ・パートの方も、私の書くものが常にそうであるように、相変わらず難しいのだ。依頼した演奏者のお2人には大変な試練を与えてしまい恐縮極まりなかった。
 しかし手練れのお二人は長時間の練習に努められ、素晴らしい演奏をして下さった。できるだけ楽譜を忠実に再現されようと気も遣って頂いたが、私はテンポなどは箇所によっては自由に揺らして下さって構わない旨をお伝えした。
 表現主義的で衝撃的効果を狙ったピアノ・パートを、今野くる美さんは非常に的確に、スマートに弾きこなして下さった。これまで何度か拝聴したこの方のピアノ演奏は、その都度時宜を得たオールマイティな資質が見られるように感じる。現代曲はほとんど演奏した経験がないとのことだが、この流儀にふさわしいシャープなタッチで、見事に輪郭を際立たせて下さった。
 バリトンの今野博之さんは数々のオペラ上演でも重要な役どころで出演されている方で、私のこの難しい曲の世界をご自分で解釈して身にまとい、そこから練り上げられた演劇的な歌唱を見事に体現して下さったことは、作曲者の想像を超える素晴らしい「できごと」だった。そこには「役」に没入し創造的なパッションをもって音楽を生成させる、さすがオペラ歌手というほかないエナジーがあって、もちろんボカロなぞでは到底真似の出来ない、DTMでは得がたい音楽の深さを明らかにして下さったのだった。

 札幌に前泊・後泊してこの「第7回北海道の作曲家展」に参加した。他の作曲家の方々のそれぞれに味わいがあり素晴らしい作品に耳を傾け、後半は道具の出し入れという裏方も務めて多少貢献し、何よりも自作品の見事な演奏に立ち会うという、再び夢のような非日常を体験させていただいた。
 作曲家協会の他の会員の方に申し訳ないから、自作の出品はこの場ではしばらく控えたいが、また「生身の」演奏家たちと協同して音楽を創造できる機会がどこかに無いかな、と考えあぐねている。それはやはり、DTMのプロセスとは全く異なる音楽を実現するかけがえのない営みなのである。
 
 今回素晴らしい演奏をしていただいた今野博之さんと今野くる美さんのお二人に、心より深く感謝を申し上げます。

を申し上げます。


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