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らんぼさく (feat. 初音ミク)

musique/composition/mixtures

written 2021/3/27


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 昨年秋頃、「次はまたプログレッシブハウスでも作ってみたいかなあ」と漠然と思いながら、その後小説を中心とした読書の季節に突入し、この半年近く音楽から離れていた。
 ずいぶんと買い漁ったので脇にまだまだ読みたい本が積まれている状態だが、今回知って惹き付けられた作家・川上未映子さんの最初期の、話し言葉をドバーッと錯綜させたような、前衛的な喧騒の文学が気に入って、そうしたパロールの錯綜によって歌詞を組み立ててみるのもいいかなと思い、そのうち「さくらんぼ」という語を弄ぶような歌を思いつき、やがて本作に取り掛かった。
 またiPadのKorg Gadgetを用いた作曲法で、プログレッシブハウスぽい部分の他に突然メタルバンドみたいのが乱入して来たり、ラップになったり、現代音楽らしくなったり、挙句に騒々しいノイズの塊になったりする複合体である。
 主メロディーの最初の提示ではAメロ(らんぼさくらんぼ)、Bメロ(ツヤそしてツヤ、レジでおばさんに)にサビ(後半に異常な転調を含むが、メタル調)と繋がるような、形の上では一般的なPOPソングの構成を取っているのに、歌としての一貫性を欠くゆえにすぐに崩壊、それでもゲシュタルトに基づいてイメージが想起されるかのように再帰してくるパターンの配列が、「構築」をふたたび続行していく。そんな感じだ。

 歌詞においては川上未映子さん風のパロールの嵐を最初狙おうと思っていたが、途中から結局自分なりの「言葉」に回帰していって、「さくらんぼ」なる恣意的に選ばれたシンボルに関係する際の心的現象の思索的記述に向かった。この面での意味内容のコアは、まさに

「つぎはぎだらけのロゴスで ややこしい世界を歩くのには 確かさのシンボルがほしくなるね」

という一文に尽きる。
 しかし恣意的な記号として他のものといくらでも交換可能な「さくらんぼ」なる実体は、そもそもの無意味さにおいて自己の文脈(意味組成の体系)とどこまでも対立していく、すなわち「POP」という、眼前に強靭に炸裂する、他者的なる何ものかである。

 プログレッシブハウスを好みDJをしたりする人びとと、ヘビーメタルに群がる人びととは、ファッションから何から違う感じがして、互いに一堂に会する機会があったら何が起きるのだろう。しかし、私は音楽として両方とも好きだし、両ジャンルをそれぞれに聴いてそれぞれに「ここ、カッコいいなあ」と感心するのである。このポピュラー音楽における「カッコ良さ」は本当に言語化しにくいポイントだ。たぶんそうした「カッコ良さ」は音楽の「様式」としての面に属していて、過去に色んな個性を持ったミュージシャンたちが発明して来た諸々の蓄積が、何らかの音楽的「意味」の生成の場をその都度発現し、ある程度まで一般化された様式的なセンスの共有により、結果、オープンソースなコードが、各ジャンルごとの集団的自我のラングとして形成されるのだろう。
 私もそうだし誰でもそうするように、自分がこれまで聴いて得た音楽の感興が培った「センス」を頼って「様式」を持ち込みつつ、それらの複合体としての作品を組み合わせるとき、先行する自らの「センス」に対し、言語的な思考はなかなか追いついていかない。なぜこの様式内の或る身ぶりがカッコいいのか、そこで共有される意味の根底とは突き詰めると何なのか、考えて行ってもなかなか解決は得られない。この難しさの原因の一つとしては、少なくとも言語の上では、社会において音楽を分析する技法がまったく統合されていないことも大きいだろう。明晰には言語化できないゆえに、人は音楽を、とりあえず或る傾向のファッションと結び付けたがるのではないか? それは文化的なシンボル文法に根ざした実践に違いない。
 ただ、私のやっている音楽が、社会的な共有のコードとは毛色の違う場所にあって、そこでの意味の探究はとりあえずは酷く孤独なままである。しかしそれでも、自分が求める思考(音楽探究)そのものは徐々に進んでいる、という手応えだけがある。それは最後まで誰にも理解されないのかもしれないが。
 ジャンルの差異を超えて、すなわち<様式>の向こうにある深層の<意味>を探ってゆくこと、文化の多様性に対し超越論的な精神(?)を、振動のさなかから立ち表すこと。たぶん私はそういうことをやりたがっているのではないか。

 今回、ボカロの後ろで、私自身がヘビメタの「デスボイス」をやろうとしたが、どうもまだまだそれっぽくなかった。あんまり練習すると喉をやられそうだが、いっそ枯れてしまって瀕死の声になれば良かったのかもしれない。実際、CD等のメタルを聴くとデスボイスはもっと音高不明なまでにノイジーだ。もはや声が潰れてしまって、大量の息を吐き出したときのノイズが、たぶん肝心なのだろう。
 それよりも、メタルバンドの部分の特にギターの音が、Gadgetで使用可能な音源ではしょぼくれているので、この箇所は本当は生演奏の方が良いのだろうな、と思う。「バンド音楽」というものが生み出す躍動感に、DTMではなかなか手が届かないもどかしさを感じる。たぶんそこにこそ、典型的なパロールとしての音楽が息づいていると思うのだ。
 当たり前のことながら、DTMで作ってやはりそれっぽくなりやすいのはハウスやエレクトロニカなどのテクノ系の様式であるのは間違いない。
 今回も少しだけラップも出てくるし、いつでもクラシックの「現代音楽」の方向に舞い戻ることもできる。最後にはノイズミュージックにも接近するが、そこは美的素養の性質から、ある臨界点を超えはしなかった。知解可能な明晰さ、出来れば自ら歌ってなぞることもできそうな原始的「歌」への欲求等々から、私は私を限定していることも確かだった。

 iPad版のKorg Gadget を使用しての作曲にはさまざまな制約が伴う。今回は、一箇所、8分の7拍子と8分の9拍子が交互に出てくる変拍子パターンを用いたが、そこは2小節を1小節とみなし8分の16拍子で書くという工夫をせざるを得なかった(ちなみに分子部分が17以上となる拍子はGadgetでは設定できないことが今回分かった)。もっと小節ごとにどんどん変わる変拍子は、Gadget ではほぼムリである。
 16小節を超えた長伸ばしの音はそもそも継ぎ目なしには不可能だし、ブロックをまたいでパラメータをスムーズに繋いでいくのも手間取る。
 この次は、iMacのLogicで作曲しようと思う。Gadget はアイディアを書き留めたり、ダンサブルなパターンを作る時のみに。
 私は、たぶん私しかやらなそうな変な音楽を、まだもう少しやっておきたいのであり、そんなつまらぬことにせよ、極めるためにはあと何十年あっても、全然足りないのである。
 私は社会とか外部とか他者に聴かせるために書くというよりも、自分自身の聴取体験すなわち<音楽との関係性>を磨き上げ自己の世界観の更新を企てるという、あくまでも孤独である種オタクな営みに没頭するだけだ。


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