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公開しないことが心地よい

textes/notes/雑記

written 2014/9/13


 先日ここに書いたように、目下コンクール等応募用の楽曲を連続して作っている最中で、作品をネットに発表するという過去の習慣的行為が、もはやどうでもよくなってきている。
 むしろ、ネットでいちいち作品を公開せずに、一人でこそこそとモノづくりをやるという作業が、その静かな孤独感ゆえに心地よい。
 私は何かというと「追いかけられて、焦って事をしようとする」人間なので、これまで作曲も、何かに焦りながらやっていたフシがあるのだが、今やそのような焦りは消えた。私の創作生活における焦りは、創作そのものに起因するのではなく、ネットを介しての、見えない他者たちとの微妙な(想像上の)コミュニケーション、そしてそれによる、自身の心理的なアンビバレントから来ていたのだ。
 たとえば、カルロ・ジェズアルドは、あの奇妙な半音階的声楽曲を、当時の音楽シーンに革新を吹き込もうと企図して書いていたのではなかった。彼は隠遁者であり、城に閉じこもっていたから、自分のためだけに書いていたと思われる。貴族だから、お召し抱えの合唱団に歌わせて、自分で自作を聴くことはできた。それで満足して、人に聴かせようとはしなかった。彼の作品が残ったのは、彼が貴族だったから、楽譜がちゃんと保存されていたために過ぎない。

 コンクールの〆切はまだ結構先なので、のんびり書いている。こののんびり感も、いい。ネットから切り離してしまえれば、こんなにも創作とは自由なものだったのか、と気づく。
 ヴァイオリン独奏曲を先月書き終えて、今は「やや長めのピアノ独奏曲」を書いているところ。これをのんびり、じっくりと書き進めてきて、そろそろ終わりそうな辺りだ。もちろん、これもコンクール向けの曲なので、完成してもすぐには公開できない。
 ピアノ曲が完成したら、その次は室内楽曲にとりかかる。この室内楽のコンクールは2008年に私が落選したやつで、どうせまた落ちそうな気がするし、そもそも応募に当たって1曲につき15,000円もかかるので、金銭的にもきついのだ。
 しかし他にめぼしい国内のコンクールは当面ないようだし、年齢制限のある「新人賞」系が結構あって、もうじき45歳のオヤジすぎる私には応募資格がないとか。あるいは管弦楽作品とかだと、そもそも書けないとか。
 まだ時間はあるので、できれば室内楽曲を複数書いて、その中から一つ選んで応募しようかなと思っている。

 まあ、どうあがいても全部落選して終わるような気がしているから(期待すると後でショックを受けるので、最初から絶望しておくのが正しい)、今やっている作曲活動というのは、本当に、密室での、自分だけの、暗い「趣味」みたいなものだ。そんな「暗い趣味」でも、ちゃんと他人様の作品を聴いて自分の執筆を反省的に分析しなおしながらやっているから、成長がないわけではない。
 これが心地よくなってきたのだから、それでいいのだろう。
 いっそのこと、もうネットで曲を「公開」するのをやめてしまってはどうか。
 コンクールに落ちるのはそれなりに欠陥があるからだろうし、そういう作品を公開するのは、人様に失礼だし、ゴミばかりまき散らして世間にメーワクかもしれないし、そもそもなんのためだかよくわからなくなってしまったから、もう、やめてもいいのかもしれない。
 そうするとそろそろこのサイトも、お役目終了だろう。
 そうやって、時が過ぎ生活は変容を続け、ひとつの時代が終わってしまうのも、いいかなあ、と思いつつある。


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