ケリをつける
textes/notes/雑記
written 2014/8/23
2008年に一度だけ、作曲した作品を国内の、現代音楽系の公的なコンクールに送ったことがある。それが見事に落選し、それなりに落ち込んだものだったが、今思うと、その頃はまだ「現代音楽」をよく知らないまま書いていたし、楽譜の書き方もおぼつかない状態だったから、落選はあまりにも当然だったような気もする。(もちろん、6年経った現在でも現代音楽のキモを掴んだとは言いがたいので、たいしたレベルの違いはないのだが。)
以前にも書いたが、そもそも私は「人と競争する」のが嫌いで、コンクール等では全く勝てる気がしない。子どもの頃ぜんそく持ちで、足も遅かったから、大勢の集団の中にあるときは、競走したら負けるのが当然、という常識が身についているのだ。(小・中学校の勉強は出来たが、それは競走というふうには考えていなかった。)
だから金輪際、作曲コンクールなんてのもごめんだ、との思いがあった。
ところが、「作品をネットで発表する」という、長年つづけてきたやり方にも、そろそろうんざりしてきた。私の作品をいっとき気に入って下さる方もこれまで少しはいたが、みんな結局は去ってしまい、最近は楽曲を作っても何も反応が得られない場合もある。
「作曲すること」の或る側面をコミュニケーション行為の一種としてとらえるならば、私はことどとく失敗してきた。
そんな閉塞感からちょっと気分を変えるために、突然ながら、さいきん某楽曲募集に応募してみた。
この大急ぎで書いた曲、いつもだいたいそんな感じなのだが、作った後数日経ってから聴き返してみると、そんなに出来が良いわけでもないような。楽曲公募は、ほとんどの場合「未発表の曲に限る」と決められているから、落選がはっきり決まるまでは、当サイトでにも公開できない。この「公開できない」という感じは、私にはちょっと新鮮だった。ネットにいちいち公開して、周囲の反応の有無に一喜一憂せずにすむのだ。
この意外な心地よさとあわせて、何となく煮詰まってしまっている感のある最近の私の作品、ここらであちこちに応募してみて、まあ、あちこちで落選するはずだけれど、そうやって一つの「ケリをつける」ことにしてみてはどうかな、と思った。
現在作曲家を名乗られている方も、実はこういう公募コンクールに何度も何度も落選した後に、ようやく入選したというお話をされていた。非常な才能があれば別かも知れないが、全国規模のコンクールを勝ち抜くなんてのは楽なことではない。まして私は、才能もなければちゃんとした音楽教育も受けておらず、世界観的に見ても、他人様に競争で勝てるなんて気がしていないのだ。
それでもなお、独学でしばし追求してみた自分の「現代音楽」を、本来出すべき所に出して、容赦なく裁かれて、それで、「ああ、やっぱりダメだったなあ」と噛みしめながら、凡庸な生の味を味わいつつ、静かに死んでいけば、それでよいのだ。(逆に、プロの作曲家になろうなんて思ってもいない。)
ということで、応募用の作品を次々に書いているときには、ネットで作品を公表できない。ここに公開しないだけで、作曲はしているわけだ。現に8月に、私は2曲書いた(応募用の作品はそのうち一つ)。応募作品を書く合間に書いた「自由曲」だけを、これからはたまに公開することになるだろう。
・・・いや、もう公開なんてことも、「ネットでの生」なんてものもどうでもよいのではないか。すべてはもうすぐ終わるのかもしれない。
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