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「パッケージ」を公開

textes/notes/音楽

written 2013/8/31


 1年近くアコースティックな「現代音楽」にかかりきりになっており、もうエレクトロニカとかボーカロイドとかが「懐かしい」記憶になってきていた。その懐かしい場所には、ボカロを聴き、あるいはボカロ曲を聴く「仲間」がいるはずだった。もっとも私はひねくれたオヤジなので、決して彼等の同人誌的世界と一致したことはない。とりわけニコニコ動画の匿名の無責任な「コメント」機能が心から嫌いなので、このボカロワールドに浸るつもりは全くない。他人のボカロ曲もあまり聴いていないし。
 しかしそのことと、POPな音楽世界に愛情を感じることとは別である。

 現在「ピアノのための23の前奏曲」がまだまだ書きかけだし、まだ数曲書けそうな勢いではあったが、ここらで少し休んで、ふとPOPな作品を手がけたくなった。
 今回は変拍子もなく、さほどヘンテコな和音もなく、POPで明快なパッケージを目指した。とは言っても、ノイジーなサウンドが少し入っており、メロディのスケールは第3音を抜いたドリア旋法を用いているのが特徴になっている。「CPU」くらいのPOPさで、かつ、旋法とノイズ以外は「ふつうっぽい」ストレートな曲調だ。前衛性、批評性は抑制し、私なりに「パッケージ的なもの」を目指した。
 もっとも、それでいながらなお、私の「個性」というか幾つかの傾向はあらわれているだろう。残念なことに、私は私でしかない。ほんとうは、現代音楽における「他者性」も、POPな楽曲における「パッケージ化」も、自己を抹殺するための手段なのだが。

パッケージ Package (from "パッケージ論 Theory of Package")

掲載ページ: http://www.signes.jp/musique/index.php?id=826

2013/8/31完成 3分55秒 VOCALOID結月ゆかり&初音ミク使用 BPM116

MP3:http://www.signes.jp/musique/TheoryOfPackage/Package.mp3

 スポーツが好きな人は、自分の専門のサッカーばかりでなく、時にはバスケットボールや野球も楽しむだろう。私も普段つかわない筋肉を使って、この曲を書いた。
 もちろんそのぶん、現代音楽を書く際につかう筋肉は休止していた。
 やはりパッケージとしての楽曲を作る行為と、研ぎ澄まされた「芸術」音楽作品を作る行為とは、どこか違っているのである。ただし武満徹をはじめ、前衛的な現代音楽の作者たちは好んで(あるいは生活上の必要に応じて)調性作品をも書いた。ふだん使っていない筋肉を活用することで、身体全体が活性化するということもあるだろう。

 さて、かなりPOPに作ったつもりの本作だが、どうだろう。どうも私自身が気に入った曲というのは、世間では評判悪い傾向がある。今回も結局受け入れられないのかもしれない。
 しかし私は別に「売れる音楽」を書く必要はないし、そうしたいとも思っていない。人気を得たいとは思っていないはずだ(ひっそり静かに、無意識裡にねがっているかもしれないが)。では何がしたいのだろう? 本能として、他者にささやかな「ほほえみ」を投げかけてみたいとか、その程度の気分かもしれない。

 シンプル化の技術的鍛錬は、現代音楽を書く上でも当然、必要とされるものなのだろう。自分が選択した音を執拗に問い直すこと。画竜点睛。きっちりと嵌る見事な一音が見つかったら、その瞬間、どんなに快感だろう。
 そして最終的には、研ぎ澄まされた緊張感のさなかで、自己を抹殺し、消滅させるのだ。


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