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「Bogus Birds」を公開

textes/notes/音楽

written 2013/7/29


 昨年5月に書いた「Riverhead Prateau」以来の、「23のピアノ前奏曲」新作を仕上げた。まだやっと通算10曲目。
 今回これまでの作曲方法とちがったのは、DAWの「Logic」で作業を開始せず、「Finale」で楽譜を作りながらの作曲となったことだ。プラットフォームの変更はかなり大きい。Finaleの操作もまだ完全に把握していないので、ちょっとしたことがなかなか出来ずに手間取って、苦労したのは当然かもしれない。そのかわり、最初から楽譜を作ったので、Logicで作曲して、MIDIファイルを経由しFinaleで楽譜を書くという作業の苦痛は無くなった。また、Finaleは自動で音のタイミングや強弱を微妙に揺らしてくれるので、後からLogicで演奏データを修正する作業は比較的ラクだった。
 この新作「Bogus Birds」(偽の鳥)は5連符や7連符を駆使しているが、それを書き込むのはLogicよりFinaleの方が簡単である。徹底的に連符にこだわったこの曲は、プラットフォームをFinaleにチェンジしたことの、個人的な宣言書でもある。

Bogus Birds (from "23 Preludes for Piano")

2013/7/29完成 3分34秒

掲載ページ: http://www.signes.jp/musique/index.php?id=739

MP3:http://www.signes.jp/musique/Preludes/BogusBirds.mp3

楽譜:http://www.signes.jp/musique/Preludes/BogusBirds.pdf

「他者性」の音組織を構築しようとした前作「Monetary Nature」の延長線上にある本作だが、セリーは捨て、完全な自由作曲法で、好き放題書いている。しかし、自由作曲法に戻ったものの、「他者性」としての「厳しさ」をみずからに刻もうとした。要するに、自分にヤキを入れるということだ。
 自在に素材を操り、好きなように構築する主体は、いわば<詩人>として、生まれつつある作品をデザインしなければならない。「芸術家のポエジー」という価値は、19世紀まではそれだけで直ちに尊重されたけれども、20世紀以降はポエジーをいったん「括弧」でくくらざるをえなくなった。この批評的過程において、安定した主体を脱却し他者のまなざしへと飛躍するスタンスが必要になる。
 私は、統一性をもった主体であると同時に、他者でなければならない。この他者性の感触は、とげとげしさやアンバランス、厳しさとして、まずは眼前に顕現するだろう。
「Monetary Nature」と共に、この作品は、そうした<修行>の途中経過を示しているはずだ。
 私の音楽を聴いてくれる人はもはやほとんどいないが、このような探求をつづけることにしか、もう創作する甲斐がない。

 年内にたてつづけに数曲、「23のピアノ前奏曲」を書き継ぎたいと思っている。


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