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沈黙

textes/notes/雑記

written 2013/3/10


 もともと「プロの作曲家」になろうというつもりはない(なれるとは全く思えないし、明らかにありえない)。
 自分ではそれなりに「真剣に」音楽を追究してきた面があって、だから「趣味」という言葉ではくくられたくないよ、という気概を若いうちは持ってもいたが、やはり、「趣味」である。
 音感も才能も素質もないから、「音楽」は最初から自分には異質な世界であって、単にそういう「別世界」に首をつっこんでおもちゃ(MIDI)をいじくりまわし、遊んでいただけだ。
 20年ほど遊び続けたから、それなりに音楽的センスも磨かれ、やり始めのアマチュアよりは上出来な曲を書くことができたかもしれない(MIDI世代だから、サウンドメイキングは苦手だけれど)。最近は何人かの方(海外の方が多い)に作品を褒められ、awesomeとか、あんた才能あるよとか言われ、アマチュアとしては、これでじゅうぶんである。プロじゃないから、これ以上のことを望む必要がない。

 できるだけ多くの人に自分の声を聞いてもらいたい、みんな俺の言葉を聞いてくれ、俺に注目してくれ。そしてできれば同意してくれ。というのは、思春期的な欲求である。
 乳幼児期においては「世界」はそのまま「自分」とつながっており、最も幸福であったが、それが中学生の頃までに次第に失われ、「自分」がOne of themの存在でしかないという知を受け入れざるを得なくなる。そうなると「世界」(世の中、社会)と「自分」との一体感や接続は消失し、孤独と、自己の無意味さを体感することになる。
 少年ジャンプなどの少年漫画の世界観の普遍的な特徴は、主人公が(力ゆえに、努力ゆえに、宿命ゆえに)常に世界に認められ、この世の中心であるかのような注目の的となる、という願望をえがいているということだ。
 いまは大人になっても少年漫画を愛読する人も多い。しかしこうした世界観がウソであり、単なる夢にすぎないという事実を、日常生活において人は絶えず突きつけられている。
 何歳になろうが、これは辛いことなのだ。だからインターネット(の掲示板、SNSなどの、メッセージ発信装置)を入手すると、「みんな俺の意見を聞いてくれ! 俺を見てくれ!」とばかりに、好き勝手なことを書き散らすようになる。なんの価値もないたわごとばかりが飛び交うことになる。意味のない意見をいい気になってまき散らして、争っている。少し歳をとったらその愚かさに気づけばよいのだが・・・(自分もなかなかそういう諦念に達し得ていない)。

 音楽においても、おなじことだ。
 DTMテクノロジーの普及により誰もが簡単に音楽をつくり、ネットで発信できるようになった。みんなが叫ぶ。
「俺の曲を聴いてくれ、もっと聴いてくれ! いいと思わないか? まあ、ちょっと雑な部分もあるけど、いいところもあるだろう? ほら、もっと聴いてくれよ!」
 相変わらずの幼い願望である。「自分」を人々の世界につなぎ止めておきたいだけだ。それだけだ。
 
 私は数人の賞賛を得ることができた。「もっとたくさんの」をいつまでも求め続けるのは欲張りだし、きりがない。私はアマチュアであり、One of themにすぎないのだから。
 だからここで死んでも何も思い残すことはない。

「遺作」のつもりで書いた「Context of Water」よりも、「Way to the Winter Garden」の方がそれにふさわしかったかもしれない。
 いま私は沈黙している。
 アマチュアだから、やるのもやめるのも、休息し続けるのも自由である。
 そういえば私は「人生のアマチュア」なのかもしれない。死ぬのも生きるのも、狂うのも休止するのも自由な。
 
 とりあえず胸痛の問題が解決しないと作曲に戻るきっかけがない。
 でも、このまま沈黙して「終了」してしまうのもいいと思うんだ。
 肺がんで死んでしまうのもいいと思うよ。
 すべてのアマチュアはOne of themであり、どうあがこうと結局沈黙するしかないのだから。


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