砂漠からのレポート
textes/notes/雑記
written 2012/7/8
作曲休止状態に入ってそろそろ1ヶ月、別何も支障はない。
自分が作曲活動というか、DTMを始めたのは大学時代にYAMAHA QY10というおもちゃみたいな音源付き小型シーケンサーを弄び始めた時で、その後就職してからYAMAHA QX3なる単体シーケンサーハードウェアを購入した。
だからもう20年ぐらいDTMをやっている勘定だが、ずっと作曲し続けてきたわけでもない。数ヶ月間音楽を作らない時期というのも周期的にあり、そういう期間はおおむね「読書の季節」だった。
「読書」が私の人生では最も多大な時間をつぎ込んだものだった。小学生の頃はマンガを読んだが、中学時代に推理小説とSFから出発して、高校のあいだは世界文学の名作を読みあさった。
運動は得意でない。が、小学生の頃はケンカが強いと同級生に認められていた。一方、足が遅いのは致命的だった。小さい頃に小児ぜんそくで入院していたこともあり、ぜんそく持ちだからマラソンは大の苦手だった。
「読書」は、だから、単純に面白いということの他に、いわゆる劣等意識を克服するための孤独な自意識援護の営為であったかもしれない。
世界文学の名作を読むことで、とりわけ人間心理についての洞察力を身につけたり、「そんな本まわりの子は誰も読んでないけど、自分は読んでいる」という幼稚な自尊心を養うことができた。
「自己有用感」を補強し、自己と世界とのバランスを防衛的に調節してきたのが私の人生だったとするなら、哲学等の読書と同様、「作曲」もまた、自尊心を高めるための行為であったかもしれない。
しかし、ニーチェのように皮相に、弱者だのルサンチマンだのを矮小化する必要はない。人にはそれぞれの生き方がある。
ニーチェ的な「力への意志」「超人思想」は、ダーウィン進化論の「自然淘汰」「適者生存」(後者はスペンサーの言葉だったかもしれない)という概念に鼓舞された19世紀西欧資本主義から帰結したものだろう。要するに適応した強者が栄えるのは必然であり、弱者は滅び去るべきである。
進化論は結局のところ、競争する社会=自然のなかで、弱いマイノリティを淘汰するための教義を生産する。とりわけ精神病患者や発達障害者、身体障害者等のマイノリティを淘汰する資本主義「競争」社会を正当化するために、強者の倫理が声高に叫ばれてきた。いま、右傾化した論者たちは好んでニーチェを活用している。
社会主義思想はマイノリティを救うかのように見せて、結局は単に社会を官僚化し、腐敗を呼び込むだけだったように見える。歴史的には。
私も弱いマイノリティである。
作曲活動に真摯に取り組んでいくと、自分の「才能」の限界にたちまちぶつかる。自分の特異な好み(マイナー志向)のせいもあって、多くのリスナーに認めてもらうことができない。マイナー志向であっても、さほど多くの人に認めてもらえなくても、一流の音楽を作ることができれば「成功」するのだろうが、どうやってもそこまで行けない。
結局は「競争」に敗れ、淘汰される弱者にすぎないというわけだ。
むしろ最近のように、作曲も休止し、読書にもさほど熱意をもって邁進せず、ぼんやりとDVD映画を見て日々を過ごしている状態は、ラクである。見ているのは映画だけれども、受け身的でぼんやりとしている点、かつてないほど「ふつうの人生」に近づいている。仕事から帰ってきたらビールを飲み、ぼんやりとテレビのバラエティ番組などを寝転がって眺めているような「ふつうの人生」。
これで仕事も休止できたら最高にラクである。
とはいえ「職業」によって人はやっと社会に組み込まれ、意味はないが「機能」しつづける歯車となることができる。このパーツは交換可能なものであって、もし私がこの仕事をしなくても、誰かが代わりにやるというで、サラリーマン生活というのはそういう徹底的に無-意味な自己の実存を意識させてくれる。
しかし人は「自己」への執着を捨てられるなら、捨ててしまった方が断然いい。というか、結局現代社会はそういう境地へと人を導いていくのかもしれない。若い頃のどん欲さが歳とともに弱まっていけば、やがて競争にとらわれることもなく、自己の限界を知り、その生の無意味さを受け入れられるようになっていくのかもしれない。
作曲し、小難しい本を読んでいても、別に自分は「特別」なのではない。世界は対等で無意味な粒子の無限な集まりであり、そのなかでの微妙な知の流動の中に身を任せる。もはや自己のモナドとしての社会での位置づけは気にならなくなる。それは「もはやどうでもいい」。
そうだ、すべてはどうでもいい。
行為の意味を求めずに音楽を作ることができるようになれたらいいのだ。
音楽は本来多義的なものなので、何が正しいということもない。競争したい連中が競争していたらいい。自分には関係がない。
この生活は非常にラクだ。
ただし、砂漠を生きていくための必須のものとして、毎日の抗うつ剤が不可欠ではある。
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