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あいだの音楽

textes/notes/音楽

written 2010/11/30


さいきんの自分の考えでは、人間的なあらゆる文化領域と同様、音楽もまた、音と音、音と沈黙、自己と他者、自己と世界、現在と過去、新しいものと既知のものなどなど、さまざまなもの同士の「関係性」で成り立っている。
作品はそれ自体ひとりきりで存在を始めるわけではない。
作者は決して無から創造することなどできない。既存の音楽、既存の作品群との距離を測りつつ、おそるおそる他との関係性をさぐりながら、作品は作り出される。作者が日頃好きな音楽、嫌いな音楽、過去に自分で作った音楽、他者の手で周囲に存在している音楽、作者の頭の中にある漠然としたイメージとしての音楽、等々と関係を結びつつ、作品が成立してくる。
作品はこのように、作者「ひとり」の中から出てくるのではなく、作者をめぐる世界内のさまざまなものとの「あいだ」において生まれるのだから、その重層的な関係性の網は複雑きわまりない複合体を成している。

この観点では「コラボ」と、「自分一人で作った作品」とのあいだに、根本的な差異はさほどない。
ただ、「コラボ」(たとえば他者が作成したメロディを生かしてアレンジしたり、一部の音源を活用してリミックスする作業)の場合は、具体的な「素材」が与えられているので、(アレンジ/リミックスする)主体は、著しく制限されるように見える。
一人で自由に制作した作品は、比較的恣意的に選択した諸音楽との関係性の中から生まれるのに対し、アレンジ、リミックスでは、強制的に呈示された音楽素材との直接的な関係を余儀なくされる。
このように自己を限定してくるなにものかを明示的に「与えられている」ことが、コラボレーションの特質であって、オリジナル作品において自分一人で「自由に」制作している「つもり」になっている際の、「与えられたものの隠蔽」(孤独な創作においては、創作主体の無意識がすぐそこにいる「他者」を無意識的に隠蔽しようとする)と対比されるだろう。

しかしすでに述べたように、音楽同士の関係性という「あいだ」にしか音楽という営みはありえないという点は、コラボだろうが何だろうが変わりはしない。

・・・といったことを考えていたのは、いま初の「Remix」作品を手がけているからだ。
ある方からお誘いいただき、その方が作曲したメロディを、別の女性シンガーの方が歌ったwaveファイルをもらい、それを「自分流に」料理しようとしている。
ボカロ以外の「ナマ声」ボーカルを活用した曲作りというのが新鮮な初体験で、わくわくしながら引き受けさせていただいたのだった。
さていつものようにDTM制作し始めてみると、やはりなんだか勝手がちがう。それは、いま作りつつある作品の前に、如実に「他者」が存在するからで、作曲された方のメロディーラインや歌い手さんの歌唱を前にして、しばしばなすすべもなくぼんやり聞き入ってしまう。
メロディーと歌唱だけで、じゅうぶんに独立した音楽でありうる。そこに私が何を付け加えることができるというのか?
・・・いや、付け加える「べき」ものは何一つ存在しない。ただ、私とメロディー、私と歌声のあいだには無限の距離があるから、私はその隙間部分に、異質なものを挿入してみる。それは私が、彼ら「他者」へと向けるまなざし=志向性そのものだ。今回の私のRemixは、出所のまるで違う異質ななにかを対立させ、その緊張感のなかで音楽の可能性を探してみる試みとなっている。
これは「音楽のめざめ」の前半と同じだが、調性(旋法)的な主旋律の背後で、完全に無調な音や、怪しげな和音、多調、トーン・クラスター、ノイズなどを配置する。すると旋律(歌)とのあいだで隔絶が生まれ、緊張感に満ちた空間になる。
その緊張感の中から、何かが変化していく。
しかし今回はメロディーは固定なので、変化するのはバックトラックだけだ。違和感に満ちたバックトラックが、「歌」への注釈や勝手な批評・コメント、憧憬と離反、希望と絶望、肯定と否定といったスタンスに揺らぎながら、複雑なテクスチュアを生んでゆく。いつまでも「違和」のままなのは、私がひどく孤独で、他者との適切な関係を維持できないからだろう。だから、完全な協和音の終止には、やはり到達することができないだろう。
きっと、そんな音楽になるだろう。


エイフェックス・ツインとか、私が所有しているCD等のRemix作品を聴いてみるとやり方はさまざまで、原曲からほんの少しだけ素材をもらってきて自分流の音楽の中にたたき込むという感じのものもあれば、メロディーラインや構造はほとんどそのままにして、原曲とは「ちょっと違う」雰囲気のバージョンを作るだけというものもある。程度はさまざまだ。
エレクトロ/エレクトロニカ関係ではRemixはかなり一般的なもので、実際に膨大な量の作品があるようだ。「とにかく音色に凝る」という傾向のあるこの分野では、他人の曲をちがったサウンドやビートに乗せて作り直してみる、という行為がやたら多い。もしかしたら、新進クリエイターがそういうRemixを通してシーンにデビューを図る、という形が、このジャンルでは定着しているのかもしれない。

私はクラシックに長年馴染んできた、完全に「作曲系」のクリエイターなので、サウンドメイキング、ミックスとかマスタリングなどといった問題にさえ、つい最近までまるで関心がなかったくらいだ。
そんな私がRemixに挑戦しようなんてのは無謀なのかもしれないが、自分の中ではなんとなく、おもしろいことが起きそうな気がしている。
もっともそのことと、仕上がった作品の出来とは別の問題だが。


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