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Melancholie完成

textes/notes/音楽

written 2010/7/17 [ updated 2010/7/27 ]


(2010/7/27動画付加)

「断絶詩集」の最終曲「Melancholie」が完成した。
 最近はエレクトロニカ系の音楽ばかり聴いており、J-POPなどの「歌もの」はあんまり聴いていない。
 いきおい、関心も「歌」中心のシンプルなラインより、エレクトロニックな操作によるサウンドメイキングの、複雑性のデザインに向いてしまっているが、「rm -r」に続くエレクトロニカ実験作は後回しにして、とにかく「断絶詩集」を完結させてしまいたいと思ったのだった。

 この曲の原イメージは非常にはっきりしており、Bola の2002年のアルバム「Fyuti」の、特に冒頭に入っている「Vertiphon」という曲である。地味な曲だけど何度か聴くうちに、なぜかこれにいたく感動してしまい、おなじような雰囲気でボーカロイドの歌を乗せられないか、と思い立ったのがこの「Melancholie」制作の発端だ。
 そういうわけでパクリから開始したのだが、初音ミクの歌と、エレクトロニカ・コンポーザーはやらないような、過剰で狂気じみた転調を重ねていくうち、オリジナルの音楽になったと思う。というか、Bolaのようなスタイリッシュなサウンドは自分の傾向と、結局マッチできないかもしれない。
 おまけに、バウンス16ビートは昔から苦手なリズムなので、妙に苦戦し、時間がかかってしまった。

掲載ページ:http://www.signes.jp/musique/index.php?id=660
MP3: http://www.signes.jp/musique/SeverancePoems/Melancholie.mp3
歌詞ファイル: http://www.signes.jp/musique/SeverancePoems/Melancholie.txt

 ややテクノっぽいPOPといったところだろうか?

 この曲のバイブレーションは「Endon」のそれに似ている。同じように陰惨で、沈鬱でありながら、どこかで激情をほとばしらせようともがきながら推移していく。
 メロディ自体はポップで、今回は変拍子も使っていないが、ふつうポピュラーミュージックではありえないような転調をあいかわらずやっているし、何より歌詞が「一般的」ではない。「断絶詩集」の趣旨がそうだからどうしようもないのだが、これもやはり、幅広く受け入れられるような曲ではないだろう。
 この歌詞には「つながりという幻想にしがみついてばかりね」といった批判も含められており、「つながりたい」と言っていた「Synapse」のオプティミズムから反転し、人々とのあいだの断絶に身を突き落としてしまう。
「断絶詩集」の結末は、やはりこのようでしかありえなかった。
  
 曲集「断絶詩集」はボーカロイドを使い始めた「かけら、羽のように」「マーヤー」につづく、脱=クラシック路線での「過渡期」的な作品になったと思う。ここには完成された音楽もないし、確固たる歩みぶりも見られない。
 とりわけ「歌詞の問題」に突き当たったが、精神病理的な内容ということで自ら限定したためにいっそう難しくなり、自由な楽曲づくりはできなかったかもしれない。

 この曲集を書き始めたのは昨年末ころからで、自分のバイオリズムがたまたまそうだったのか、直前に「症例nt」などというロクでもない文章を書いたりしたためか、それともこんな曲集を書き始めたためか、気分的に落ち込んだ時期がやってきて、正月前後の数週間だか数ヶ月はまさに「メランコリー」な症状に陥っていた。
 だからこの曲集は自分自身の「メランコリー」の経過記録でもある。
「反復 Wiederholung」のあと、寄り道して新しい曲集「PRISM」の「Waves」「rm -r」を作った時期はとっくにバイオリズムは上向きだった。
 ところが今回の「Melancholie」を作っている最中にまたしても下降する雰囲気になってしまった。こんな憂うつな曲を書くから悪いのかもしれない。

 ともあれ、一連の小さな冒険は終わった。
 しばらくは初音ミクを使った、ストレートなボカロソング(J-POPに近いようなもの)は、作らないつもりでいる。
 よりエレクトロニックな実験を進めたいと思っている。


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