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音楽的暴力、「rm -r」

textes/notes/音楽

written 2010/5/29


 新しい曲ができた。「rm -r」。今までになく騒々しく、「暴力的」な音楽になっていると思う。
 これは「Waves」と同様、曲集「PRISM」に入ります。
 歌も入れて「断絶詩集」の最終曲としようかとも思っていたが、結局インストになった。
 曲タイトルは、エレクトロニカって意味不明なタイトルが多いのでならったのだけれど、実はこれ、Linux/UNIXのメジャーなコマンドで、「対象のディレクトリを、そこに含まれるディレクトリやファイル一切を含めて、一気に削除する」というもの。パロディ的な、ふざけたタイトルだ。

掲載ページ:PRISM
MP3: http://www.signes.jp/musique/Prism/rm-r.mp3  

 そもそも「オウテカ Autechre は現代音楽だ!」という認識と興奮の中から作曲を開始したが、ノイズっぽい音源(EXSプラグイン)を入手したので、これを大量に用いたところ、歪み系の音で総攻撃しているような、こんな音楽になった。しかしピアノも出てくるし、ノイズを縫うように旋律や和声を動かしたので、オウテカふうエレクトロニカというより、「現代音楽」に聞こえるのではないかと思う。
 それにしてもやかましいが、たまにはこういう「やかましさ」もいいではないか?
 なんだか、ノイズの洪水の中で、自我が麻痺していきそうな、存在論的誘惑。そんなイメージまで、音楽がたどり着けるといいのだが。

 私が使うような和声は、エレクトロニカでも見あたらない。そこがやっぱりポピュラーミュージックの限界なのだろうか? エレクトロ/エレクトロニカの個性的なクリエイターたちはリズムや音色の工夫・発明に全力を尽くすが、ポピュラーミュージックの土台となっている西洋「調性音楽」の枠組み(音階、和声)をなかなか越えようとしない。オウテカも含め、ときおりアナーキーな無調に踏み入る場合もあるようだが・・・。
 
 しかし和声を動かすと、機械的反復の冷たい味が薄まり、「近代的」な音楽、物語としての音楽の構造に近づいてしまう。自分は和声が変化していかないと退屈してしまうのだが、実はその「退屈さ」の方向にこそ、行かなければならないのかもしれない。「現代人」の宿命として。
 影響を受けた音楽をきちんと消化し、生かすまでには時間がかかるので、もう何曲か試してみないと、オウテカ的にはならないだろう。完全に真似してみても仕方がないのだけれど。

 オウテカのスタティックさ、ある種の静かさは、ストラヴィンスキーの感触とよく似ている。どちらの「乾き」も私の憧れなのだが、私自身がぬめぬめと湿っているためか、なかなか音楽がそういう方向に行かないのだ。もうすこし試して行きたいとは思っている。


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