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サウンドの問題

textes/notes/音楽

written 2010/5/15


 数日前から新しい曲を、と思い、手がけているのだが、どうもうまくいかない。遅々としてはかどらない。
 これはたぶん、根本的なところで、これまでの自分の音楽語法を根本から見直さなければならないほどの壁にぶちあたっているというところだろう。
 最近はオウテカの音楽に惑溺し、この路線でエレクトロニックな、いわゆるIDM系な実験音楽的サウンドを会得したいと思っている。これが大問題で、私は苦手、というか、これまであまりまともに取り組んでこなかったことに体当たりしようとしているらしい。

 やってきたのはずっと「DTM」には違いないが、ここ10年くらいは「クラシック音楽」をやってきた。その上そのうちの前半は、MIDIフォーマットだ。
 つまり、これまでの自分はできあがる音楽の「サウンド」面に、さほど気をとられずにすんでいた。サウンドの完成度が低くても、私は言い訳をいくらでも見つけることができた。(本当はそうでなく、仕上がりの音をみがきあげるべきなのだが・・・)
 クラシックは作曲家と演奏家は原則として別なので、演奏や音のよしあしについては、自分の専門外と言って逃げていたのだ。特に「サウンド」については、いくらでも音源のせいにすることができた。

 が、クラシックの作曲家としても、まともな譜面を提供できない時点で自分は失格だと気づいたし、そもそもクラシックの音楽仲間が身近におらず、音大等も出ていない自分は、クラシックの楽器や楽譜に関する知識があまりにもとぼしいのだった。
 そこで昨年クラシック路線での作曲に見切りをつけることになり、初音ミクを活用してPOP路線へと移行した。
 初音ミクはシンガーとしては非常に制約の多いやつで、その点ではあいかわらず「言い訳」がきく。
 しかし、ミク抜きの部分、つまり純粋なDTMサウンドを作ってゆく作業においては、もはやみんなが同じ土俵に立っているのであり、言い訳は不可能だ。
 ソフト音源も最近は進歩が著しく、エフェクターなども昔より飛躍的に簡単に扱えるようになったはずだ。これらのテクノロジーを駆使して、最終的に優れた音楽を、優れたサウンドで提供できなければならない。
 MIDIの時代とは、あまりにも変わってしまった・・・。

 だから私が今ぶつかっている壁とは、「サウンド」のことなのだ。これがうまく仕上げられない限り、どんなアイディアも思想も感覚も、最後の地点へと送り込むことができない。
 私がずっとおろそかにしてきた・あるいはないがしろにしてきた「サウンド」の問題が、私を苦しめ始めた。

 かつて私は「サウンド」に対立するものとして、構築性や対位法を重視してきた。つまり音価の芸術としてのクラシック音楽だ。その代表はJ. S. バッハ。「フーガの技法」などは楽器の指定もない、抽象的な作品であって、それは当時の、(音色を除く)音価の芸術の最終的な形態であったかもしれない。
 が、結局私は純粋なクラシック音楽を棄てなければならなかった。結局「近代」の産物にすぎない「西洋音楽」の限界にも気づいていた。

 そこで方向を変えた先は、純粋なDTMとして可能性を追求できるような音楽性、電子的で、ループなども活用した音楽性だ。
 だがこの方向転換は私にかなりの難題をつきつけている・・・。

 クラシック音楽を「書く」のとはまったく別のやり方で、私はDTMならではの音楽(電子音楽)を「組み立て」ようとしているのだが、勝手がちがうことによる途轍もない困難さと、自分の年齢的な限界を思い知るはめになった。
 若い連中に追いつくことができるだろうか?
 未知の土地に踏み込んだような、底知れない不安をおぼえている。


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