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ジャンル:癒し系

textes/notes/音楽

written 2010/4/13


 クレオフーガ(旧称DTM作曲コンテスト)というサイトに、先日何となく参加してみたのだが、そこで募集が始まったコンテストが「リラクゼーション・ミュージック・コンテスト」。
 要するに「ヒーリング=癒し系」の楽曲コンテストだ。
「癒し系」といえば、この言葉自体、若い頃は大嫌いだった。それらの音楽は私には安直に聞こえたし、おんなじ和音がただ単調に持続するような、安易な音楽を聴いて「あー、癒される」なんて言っているリスナーに、敬意を持てなかった。
 むしろ私は、「反=癒し系」、人の心をかき乱し、混乱させ、傷つけるような表出体の創造をめざしてきた。他者に対しいきなりアンチ・テーゼを突きつけようとするこうした趣向は、他者一般への憎しみや、その裏面にある他者への憧憬や愛情、自己自身への憎悪や悔恨、孤独の苦しみとそれの希求、・・・などなどがない交ぜになったcomplexというべきだろう。

 しかし、私もトシをとり、今回「試しに」癒し系やってみようかな、と考えた。そもそも苦手分野というか、本来自分のテリトリーでない音楽なので、コンテストで入賞を狙うと言うより、エントリーしてみることで、新たな知人(DTM仲間の)でもできるといいな、ぐらいの気持ちだ。
 ところが、実際作り始めてみると、どんどん「癒し系」から離れていく(笑)。

 そこで今更ながら、一般的な「癒し系ミュージック」の特色を考察してみることにする。

(1)旋律、リズム、和声ともにシンプルで、受け入れやすいもの。・・・転調はほとんどしない。対位法などもってのほかである。

(2)聴きながら安らかに寝入ってしまいそうな、単調な心地よさ。・・・BGM的でなければならない。急激な展開はあってはならない。クレッシェンドも興奮しすぎない程度に。出だしと最後は、必ず静かさに回帰する。

(3)イメージは自然的な風景が重ねられることが多い。・・・美しい森の木漏れ日とか。湖のほとりとか。(そういうのほしいなら音楽なんて聴かないで、実際にそういう場所に行けばいいのに・・・。)

 とりあえず思いついた以上の特徴、今書いている私の曲は既にかなり裏切っている。
 私の場合、根本的に「素直になれない」ので、フォーレ的な晦渋さ、現代音楽的な不安・苦痛の感覚など、屈折した要素が自然に流れ込んできてしまう。
 ピアノ・ソロ + アンビエント/エレクトロニックなリズム・シーケンス + ストリングスなど
 という組み合わせなのだが、どうもエレクトロニックな感じにしたあたりから、もはや「癒し系」っぽくない。おまけに単調さに耐えきれなくなり、やはり得意の、突飛な転調を入れてしまう始末。
 だったらエレクトロニックな要素なんて排除してしまえばいいのに、と言われるだろうが、「異種のものを組み合わせる楽しみ」すら無くなってしまうなら、もはや音楽する気にもなれない・・・。
 どちらかというと、ピアノで何気なく即興演奏したほうが、それらしい音楽を作れるのかもしれない。
「書く」姿勢からは、どうも、おんなじ和音が続くような「単調な」楽曲は出てきそうにないのだ。
 根本的に「癒し系」音楽は、「安定感」が大事らしい。同一性への確固たる信頼感とでも言っていいだろう。そのような確信、自己が常に自己であり続けることを土台として、静的に世界を受容する感覚が、まずヒーリング・ミュージックの前提である。固定した観点(主体)から見ないと、「自然」はどんどん流転してしまうので、安定したニュアンスを保ち得ないからなのか。私の場合、この「同一性への確固たる信頼感」がそもそも存在しないのが、問題だ。

 なお、今回の作品は明らかに「断絶詩集」には馴染まないので、別路線の新シリーズ「PRISM(仮称)」というのに入れる予定。
 いま作っているのは、どうも癒し系コンテストには向かなそうなので、できればそのあとのあとくらいに作る曲をエントリーしたい。そのへんになったらやっとふさわしくなるだろう。・・・が、コンテストの応募〆切には、絶対に間に合わない。


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