ふつうになりたくて
textes/notes/雑記
written 2010/3/27
先日完成した曲「Synapse」は、ほんとうに「ごくふつうのPOP」を心がけたものだった。ふだんどちらかというと「ふつうの音楽」を避けている私にとっては、これは相当の挑戦であり、逸脱であり、抑圧でもあった。
が、結局それは「とってつけたような」ふつうさにしかならなかったのではないか? どこかしらじらしいのではないだろうか?
POPだけれどクセのある「エンドン Endon」よりも世間での評価は低いようだ。ふつうすぎたのか。
もっと「いまふう」の曲調にしたらよかった、とか、やっぱりボーカロイドの扱いがうまく行ってないとか、いろいろと反省はしている。今聴き返してみても、なんとなくつまらなくて、自分だったらスルーしてしまいそうな音楽だ。
唯一の個性は、クラシック的な転調作法にある。ト長調からAメロの後半でフラット系に向かい、変ホ長調になりそうになるが、急に方向転換して、サビはイ短調/ハ長調になる(サビの最後にト長調に戻る)。
単純にサビをハ短調/変ホ長調でやろうとしたらキーが高すぎてミクが苦しそうだったので、こうなった。おかげで元キーに戻るのがとても簡単になってしまった。
悔やまれるのは、サビ最後にト長調に戻ってしまったことにより、ストリングスによる間奏部分が「ただのト長調」になってしまったことだ。
ポップの世界でも「ふつうすぎるもの」は売れないから、何らかのインパクトを設定しているはずだ。私がやったことは、インパクトを避けて丸くおさめることだけだったかもしれない。だからつまらないし、みんなスルーして行くのだろう。
「ふつう」を馬鹿にしてはいけない。
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