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フロイトの症例研究

textes/批評/哲学・思想

written 2009/10/20


 かつて、その読解困難さが名高い『エクリ』に辟易させられたが、ジャック・ラカンにもう少し挑戦しようと思い立ち、そうするとフロイトも改めて読み込まないとならないということになった。
 ジークムント・フロイトについては、主な著作・論文はだいたい読み、おおむね了解しているつもりだったが、実は読んでいなかった「症例研究」のシリーズをこのたびまとめて読んでみて、予想外の感銘を受けた。

 フロイトの「症例研究」(個々の患者の症候について詳細に研究し、分析するという趣向のもの)は5つある。それぞれ、薄めの文庫本で1冊になるくらいの分量だと思う。
・あるヒステリー患者の分析の断片 (1905):症例ドラ(ドーラ)
・ある五歳男児の恐怖症分析 (1909):症例ハンス
・強迫神経症の一症例に関する考察 (1909):症例ラットマン(鼠男)
・自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察 (1911):症例シュレーバー
・ある幼児期神経症の病歴より (1918):症例ウォルフマン(狼男)

 実はこれら5編が、ものすごくおもしろいのである。他のどのフロイトの著作よりもおもしろい。
 フロイトと言えば性欲論に偏った、どうもうさんくさい理屈屋、といったイメージを持つ方も多いであろう。それはフロイト生前の当時から現在に至るまで、常にささやかれている類の批判である。
 確かに、幼児の自慰だとか、エディプス・コンプレックスへの執着だとか、フロイトの有名なテーゼには面食らってしまうものが多い。が、我々「素人」には、ただちにその真偽を確認し得ないもどかしさがある。フロイトのこの「確信」、「我々は精神分析の臨床経験から、この理論が疑う余地のないものであると確信する」というその圧倒的な「重さ」、一種暴力的ともいうべき言説は、揺るぎない異物のように屹立する。
 フロイトの語る「性」は、一般的な「性」の意味とどこか微妙に違っているような気がする。とりあえずフロイトの言う「性」については、括弧でくくり、いっそ比喩的・象徴的・抽象的なものととらえてみると、抵抗感がやや減るかもしれない。

 さてフロイトの症例研究だが、この異様なまでのおもしろさは、もっと重要視される論文などとはまったく違う。それらの論文はいわば研究から得た「結論」だけをかき集めたものなのだが、これら症例研究は、隠された精神分析的構造を最終的に浮かび上がらせる、巧緻で知的興奮に満ちた「物語」、そう、推理小説なのである。
 いま推理小説という語で私が言っているのは、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーン、ヴァン・ダインといった、私が中学生の頃夢中で読んだ、「古き良き本格推理小説の古典」のことだ。  これらの小説では、事象(殺人事件)が通時的に淡々と記述されていくのだが、「探偵」は、この事象の世界からは離れた次元にいる。彼はどこにでも潜り、視線を走らせ、時空を飛び越える存在だ。この「自在な視線」が最後に、事象の平面から数々の徴表(シーニュ)を掘り起こし、別次元の構造を喚起する。犯人を名指すエキサイティングな瞬間、この美的な瞬間は、ほとんどレヴィ=ストロースの構造主義的な流儀に似てくる。レヴィ=ストロースは、(たとえば『神話論理』において)無数の事象(神話群)を記述しながら、それらをまるで新たな次元で読解可能にするような「構造」を浮かび上がらせるのだが、このスリリングな発掘作業はいかにも、推理小説的「構造」に近い。そして、フロイトの症例研究もまた、この「構造の発見」という美的な体験という点で、レヴィ=ストロースや推理小説とおなじ興奮をもたらすのだ。
 フロイトは、自分の理論の都合のよいように事実をねじ曲げて貼り合わせたりしない。患者の言表を、ことこまかに、淡々と記述している。これが推理小説の「事象の水平」にあたり、確固たるディテールに満ちた現実性を丁寧に描写している。そして、分析家は理解したことを直ちに患者に伝えればよいというわけではない、という方法論にのっとって、フロイトは最後の局面まで解釈の全容を明かさない。この過程も極めて推理小説的ではないか。

 フロイトの症例研究を読むなら、あらかじめある程度彼の「理論」についての知識を得ておく必要があるかもしれないが、これらの「物語として・構造としてすばらしい書物」を、一部のフロイト好き/研究者だけのものにしておくのはもったいない。すべての読書人に、この、20世紀西洋の得た珠玉の書物を手にとってみてほしい。
 残念ながら、比較的安く手に入る文庫版は、1冊しかない。『あるヒステリー分析の断片―ドーラの症例 (ちくま学芸文庫)』がそれだ。  が、残念ながら、前述した5作品の中で、これが一番おもしろくない。
「症例シュレーバー」は、現実的な精神分析治療の記録ではなく、あの有名な『シュレーバー回想録―ある神経病者の手記』をフロイトが読んで分析を試みたもので、特殊な内容である。フロイト自身が、パラノイア/精神分裂症(統合失調症)には精神分析治療は適用できない、と何度も言っているのに、敢えて挑戦してみた異色の試み。
 非常におもしろいのは「症例鼠男」「症例狼男」「症例ハンス」あたりだろう。私は人文書院の『フロイト著作集』(5つの症例研究は「第5巻 性欲論・症例研究」と「第9巻 技法・症例篇」にすべて入っている)を購入して読んだのだが、ちょっと高い。岩波書店から刊行中の『フロイト全集』では「〈10〉1909年」におすすめの鼠男とハンスが入っているようだが、これも高い。
 まあ、フロイトの書物は図書館にもあるだろうから、そちらを探してみてもいいだろう。

 これらの本を読むと、フロイトの「性」理論の異様さ(平たく言って、それは彼の生きた時代・社会に特有のものだった可能性もある)にまどわされずに、みごとなまでに知的な「美」の(構造主義や推理小説にも似た)戦慄を、1個の経験として受容することができるのだ。


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