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装甲する身体

textes/思考

written 2009/10/5


 自己の身体を、意識された不特定の他者たちの視線中にさらすことは、自己イメージを意図的に再構成して対象化しなおし、もう一つの視点からそれを眺める、といった自己分裂の営みにつながっていくことになるだろう。演劇を行うということはすべてこのような眼差しの二重化を意味している。

 身体の装飾や仮装については、「未開」社会では特に儀式的な場において、神話的な表象群の中に身体を組み込むために、行われる場合が多いようだ。この演劇的様式は、神話/宇宙と日常/身体をつかの間合致させることで、美的規範を展開し、社会維持の装置として機能する。
 夏の夜に地域の祭り(神社の祭典だった)で見かけた、コテコテに着飾った若い女性たちの様子は私に、こうした人類学的イメージを喚起したのだった。そのどぎつい輪郭の強調が、原始宗教的な祭式を思わせたのだ。
 一様に茶髪ないし金髪で、同じように目のラインを強調し、短いスカートからほそい脚を伸ばし、サンダル?でまとめたこの群像は、現代社会における神話的「美」のシーニュとして、演劇的にハレの空間に踊り出した。彼女らは社会の「美の規範」に従う優等生だ。

 社会が規定する演劇ゲームに身を捧げるための「化粧」行為は、われわれの世界では主に女性たちが日頃担っている。現代女性たちの「一様な」アイラインの強調は、むしろ人体のサイボーグ化という主題を呼び込むだろう。若い男性たちの願望もまた、おなじようにサイボーグ化された身体の獲得であるが、それはもっと大仰な形で、むしろ「身体の装甲化」につながっていく場合が多いらしい。
 彼らの願望の最も素朴で小児的な現れは、「暴走族」であるかもしれない。バイクや自動車といった鋼鉄製の装甲で自己の弱さを覆うことで(ないし、鉄と一体化することで)、彼らは「力」を演じようとする。この論理は子供の頃から親しんできた仮面ライダーやマジンガーZといった、無表情な無機質的顔貌の権力イメージに、直接結びついている。
 無表情であることによってこそ、傍若無人な「力」が獲得される。表情の剥奪、シニフィエなきシニフィアンとしての「顔」の獲得が、「力」の演劇を可能にするのである。これは軍隊、機械、組織、階級制といった、男性に普遍的な論理が帰結する願望であり、男根的な思考そのものだ。
 仮面ライダー1号・2号、V3に比べて、ライダーマンが圧倒的に弱いのは、何よりも顔が半分露出しているためであり、表情をもつ人間としての複雑さ=弱さを覆いきれないからである。幾何学的・記号的に単純なものこそが、硬く、強いのだ。

 そして、ここにもまた「美」の契機が存在する。
 ただ「美」だけが、欲望を生み出すのかもしれない。
 男性的な空間として分類されるであろう「軍隊」「暴走族」「ヤクザ」などは、いずれも極度に演劇化された場であって、そこでは「様式としての美」が人間を支配している。演劇、なにか様式化された身体を演じること、ひとつの文化的記号へと自己を捧げること、この営為はそもそも「美」への衝動なのかもしれない。
 ただ、この「美」は、(弱さとしての)人間の排除であり(つまり弱者は排除される)、(個の事情を切り捨てることによる)差異の消滅をめざすものとして機能しうるだろう。

 最近の男の子たちの世界では「ニヒルさ/クールさ」という徴表が美的なものとされているようだ。
 「人造人間キカイダー」の中で登場したハカイダーが圧倒的な人気を博して以来、ニヒルなキャラクターは(ほとんどの場合、主役でないにもかかわらず)重要な要素として少年マンガやテレビ番組で必要とされてきた。
 少年ジャンプのような旧来型の世界観では未だに「根性・熱血・努力」型の主人公が定例ではあるが、むしろ対置されるニヒルなライバルたちの方が、少年たちには大切なイメージだ。こんにちの少年たちはこのニヒルな人物像を手本とし、模倣しようとしているように見える。
「NARUTO -ナルト-」の主人公もまた、「根性・熱血・努力」の典型であるが、ナルトの存在は、対比的なニヒルなヒーローを出現させる機能を担った装置にすぎない。読者である少年たちとニヒルな(=装甲された)ヒーローとを結びつけるための橋渡しであるにすぎない。
 ニヒルさの表徴は、コミック/アニメで培われ、拗ねた不良といった趣のパンク・ミュージシャンのビジュアルを派生し、ある種のファッションとして街をいろどることになる。ロックもヒップホップも、実に演劇的な身振りにほかならない。
 ニヒルさ/クールさというファッションは、容易に心の中身を窺わせないための、分厚く硬い装甲である。これもまた、仮面ライダーの仮面とおなじものだ。
 弱さ・表情(心の揺らぎ)を表面に出してしまっては、もうこの世界で生きていくことはできないのだ。だから装甲し、演じ続けなければならない。それをやめるには、社会から脱落するしかないだろう。
 少年たちはそのことに気づいているようだ。


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