坂を越える
textes/notes/雑記
written 2009/9/23
今日でとうとう40歳になってしまった。
自分がここまで生き延びてくるとは思っていなかったので、なにやら意外で、気が抜ける感じだ。
自殺したり、事故にまきこまれたり、急激にガンに襲われたりしなくても、私はそうそう長生きしないと思われるので、40と言えばすっかり人生の後半戦・あるいは晩年である。
30代であれば、まだまだ自分は若いというつもりでいられるのだが、こうなるとそうも言えない。もはや、全然若くない。国会議員などでは、40歳は若いと言われるかもしれないが。
「40で不惑と言うけれど、自分なんかまだまだそんな境地にはほど遠くて・・・」
と書くのが陳腐な定例文。自分は孔子的規範にはまったく興味がないので、どうでもいいのだが、近頃は70代で殺人を犯す人などもいるようだし、私と同じ世代というのは、バブル期のテレビで育まれたおかしな連中で、年甲斐もなくネットに他人への誹謗中傷やら書き散らすしょうもない世代なので、今や「大人らしい大人」なんてそうそういない。
幼稚化した大人たちが作っている社会だから、方々でほつれ、乱れる。めいめいがくだらない、馬鹿げた薄っぺらなポリシーに執着して言説をまき散らすから「世間」は混沌とし、エントロピーが増大して一切が灰色になってゆく。
生も社会もくだらない。
作曲活動をいったん封印して以来、「難解な書物」に数ヶ月没頭してきたが、そろそろ疲れたのか、なんだか頭がぼうっとし、集中できなくなってきた。そこで、漫然としている。
集中力がないので、急にヤン・シュヴァンクマイエルという、チェコのシュルレアリストのカルトな映画にはまり、DVDをみている。シュヴァンクマイエルについてはいずれ批評を試みてみよう。
こう疲れてくると、日本の古典音楽というか、尺八の音楽なんかに妙に惹かれてくる。横山勝也さんのCD、いいですよ。もちろん武満徹の「エクリプス」なんかも。
年をとってくると、西洋式のがちゃがちゃしたピアノ音楽になんとなく抵抗を感じてくるものなのだろうか。
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