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倉木麻衣「ALL MY BEST」

textes/批評/音楽

written 2009/9/13


 デビュー10周年を迎えた倉木麻衣が、5周年目の「Wish You The Best」(2004)に続く2つ目のベストアルバムを出した。早速限定盤「ALL MY BEST(初回限定盤)(2CD+DVD)」を入手した。

「ベストアルバム」なんてものは、本当はさほど重要なものとは思えない。過去のアルバムを全部持っているなら、今どき、パソコンを使えばごく簡単にオリジナル選曲の「ベストアルバム」を作ることができる。あえて高いカネを払って入手する意味はどこにあるのか?
 ベストアルバムの有意性は2通りしか考えられない。

(1)全部のアルバムも所有しているファンが、ファンなのだからとにかく愛着の対象であるシンボルに関連する商品は、やはりほしくなってしまうという欲望システム。この新しい「ベストアルバム」に、たとえ新曲や「ボーナストラック」が1−2曲しかなかったとしても、ファンなら買ってしまうかもしれない。

(2)これまでさほど興味を感じていなかったリスナーが、「どれ、どんなものか聴いてみるか」と、とりあえず手に取ってみるのに最適な商品として。

 本当の効率性は(2)にしかない。が、(1)のパターンが証しているのは、消費社会の欲望の客体として用意される「パッケージ」の神話的実相である。

 パッケージ概念こそが、現在の過剰消費社会の普遍的価値である。もはやマルクス理論も「需要」の経済学も役に立たなくなった経済世界にあって、パッケージこそが、神話の核心を成すエレメントである。
 ここで言うパッケージとは、商品の、単なる物質的なたたずまいではない。ユーザー(消費者)の欲望の対象となる、主観的現実における存在者であり、それは物質的であると同時に心的であり、意味やイメージに満たされた仮象の実体である。
 たとえばApple社のMacやiPodも、すばらしいパッケージ性を持っている。これらの商品は梱包の段階ですでに、並の(旧態依然とした)商品群から抜き出ている。この凝った包装はまさに「美」としてユーザーの感覚に訴える。MacやiPodの機械としての優劣には直接関係ないにもかかわらず、この「美」的表出はこれら商品のパッケージ構造の核心部分に関わっている。

 さてやや高価な、この倉木麻衣のベスト(限定盤)も、実に「パッケージ」的である。
 凝ったボックス、価格にふさわしい質感。この「パッケージ」を所有すること。これこそが(1)のファン層にとって大切なことなのだ。市場の価格はこうした所有する欲望の強度によって決定されるのであって、決して生産者の労働量が左右しているのではない。

 ではこのベストアルバムの中身はどうか。
 倉木麻衣はライブを見ているとわかるように、デビュー当時の曲や何年も前の曲に愛着があるのか、延々と歌い継ぐ傾向が強い。「Love, Day After Tomorrow」などは私は全く好きになれない曲で、転調してサビに突入した瞬間発せられるあの高い「C音」が、どうにも音痴っぽく聞こえてしまい、できれば聴かずに済ませたい曲である。「Stand Up」も、どうも彼女の歌が音痴っぽく・的外れに聞こえるので、できればライブで歌うのはやめてほしい。・・・が、どうやら彼女自身はこれらを気に入っているらしい。
 まあ、ベスト盤CDはステレオレコーディングを集めているのでさほど聞き苦しくはないかもしれないが。
 前回のベスト「Wish You The BEST」と相当曲が重複している。「One Life」「touch Me!」といった最近のアルバムの曲は割合少ないのではないだろうか。

 おまけのDVDは、彼女の初ライブから始まる「MAI KURAKI LIVE SELECTION」。まだ高校生のデビュー当時の、緊張しまくり・音はずしまくりの初々しいステージから、最近の「touch Me!」ツアーまで入っている。
 こうして聴いてみると明らかなのは、倉木麻衣は「いまが一番いい」という歴然たる事実である。歌唱力もずいぶん向上した。音楽性も、ここに来て少し変化している。
 彼女はこれまでずっと、大野愛果さんとか、徳永曉人さんによる作曲を採用し続けてきた。が、実は最新アルバムの冒頭曲「touch Me! 」やその後のシングル曲「PUZZLE」、今回のベスト盤の冒頭の新曲「わたしの、しらない、わたし。」は望月由絵さんという、新たな作曲者によるものだ。よりダンサブルで「いまふう」、ただしavex系ほどこてこてしてない、メロディアスな曲調である。これがなかなかいい。大野愛果さんの曲もいいんだけど、総じてどうしても地味すぎた。
 ステージ衣装も、これまでの「ふだん着Tシャツ」からは打って変わって「衣装らしい」衣装である。
 これらの「変化」の徴表は、私にはどれも好ましく思えている。いい方に作用している。

 倉木麻衣の、いや、会社など、彼女を取り巻く連中の失敗は、彼女をあまりにも早くデビューさせてしまった点にある。
 16歳の高校生がデモテープをレコード会社に送った、それに興味を持ったレコード会社がいきなりデビューさせた。・・・このストーリーは簡単すぎる。
 リスナーの中高生にとっては、スター(アーティスト)が若ければ若いほど、つまり自分たちに年齢が近いほど、感情移入がしやすい。だから、未熟であっても若いアーティストを発掘して送り出せば、儲かるのである。
 しかし、よほどの才能や、小さい頃からの英才教育がないかぎり、音楽というものは、そんな若造のうえで花開くものではない。
 倉木麻衣のデビューはかくして不運なものであり、彼女が経験するべきだった「下積み時代」を抹消してしまった。デビューしてからも高校・大学と「ふつうに」進学したので、音楽的トレーニングに割ける時間も少なかったろう。
 そういう意味で、倉木麻衣の音楽は、今、やっと、いいのだ。
 
 ところで私が偏愛している彼女の曲のひとつに「Season of love」というのがある(アルバム「ONE LIFE」所収、作曲:大野愛果さん)。
 何がいいって、これ、凄いのである。ど「歌謡曲」なのだ。もろなマイナー・キーで、歌詞も、メロディーも、コード進行も、とにかく日本的・昭和的な「歌謡曲」以外のなにものでもない。今やこんな歌をうたうのは倉木麻衣しかいない! まったく驚くべきナンバーで、マニエリスムの極みである。
 この異様な曲、今回のCDには入らなかったが、「touch Me!」ツアーで歌った映像が、しっかりDVDの方に入っている。
 このこともあって、このベストアルバムは、私の所有欲を満足させるパッケージを実現したのである。


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