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神話としての音楽の可能性

textes/notes/雑記

written 2009/8/14


 作曲行為を封印してしばらく経った。前作「マーヤ―」は濃密ではあるが失敗作|駄作だった。それは「ただのフュージョンにすぎない」ものだったと現在の私は考える。一方、その前の作品「かけら、羽のように」は、同様にフュージョン的混成の手法を用いてはいるものの、(「単なるフュージョン」に留まらない)何か別のものを生成しようという欲動が垣間見え、未熟ではあるもののかすかな手応えを感じさせた作品だったと思う。
 ともあれ、作曲するという行為にうんざりしてしまい、3月以来、読書に没頭しまくっていた。人類学、哲学、脳科学・神経科学、情報工学、経済学、歴史学、言語学、社会学・・・などといろいろ読んできたが、なぜか文学はあまり読む気になれなかった。もっと難解な、時間をかけ苦労して、頭痛を覚えながら辛うじて読解できるような本を、今の私は欲求している。難解でない読書に、最近は惹かれるものがない。たまに息抜きしたいというときも、小説ではなく、ノンフィクションや新書の類を手に取ってしまう。
 ついでに、せっかく読むのだから、読んだ傍から忘れてしまうことに抵抗し、少しでも明確な蓄積を残したいと考え、自分流にノートを書きながら、自ら思考しながら読んでいる。
 私の知は死とともに消滅するだけで、自己の思考をいくらきたえても意味はないだろう。私の人生には意味(価値)がない。すなわち私の知は閉鎖系を成している。適切に出力を設定しないわれわれ「アマチュア」は、みな閉鎖系なのだが、これが問題となるのは社会にとっての有用性を論じるような場でしかないだろう。

 ところが、ここ数日「また作曲してみるかな?」という気持ちが出てきている。
 今のところそれはさほど強い欲望にはなっていないし、その前にまだ本を読みたいという欲望の強さに負けているから、すぐに作曲活動に戻りはしないだろう。
 できれば手元に、発音可能で、小型軽量な電子ピアノがほしいのだが、安くても5万円はする。これがネックになり、私を音楽から離れさせているのかもしれない。手軽に音で遊べないという環境は、生活のあり方に大きな影響を与えているに違いない。

 私の脳裏にこびりついている疑問は相変わらずである。
 私にとって音楽とは何か? いや、もっとはっきり言ってしまえば、「人間にとって」音楽とは何でありうるのだろうか?

 クロード・レヴィ=ストロースは音楽と「神話」との類似を指摘している。

 音楽と神話が人間に直面させるのは、虚の物体であって、現実にあるのはその影のみであり、無意識的でありつづける実体の、意識された、あとからできる近似物(音楽の総譜と神話はそれに他ならない)である。
クロード・レヴィ=ストロース『生のものと火を通したもの (神話論理 1)』早水洋太郎訳、みすず書房  

 ところでレヴィ=ストロースが注目しているのは、セリ―音楽である。彼には、セリ―音楽の構造性が、神話の構造性と結びついて見えるにちがいない。
 表意的・表情的な音楽機能とは異なった次元で、セリ―音楽は確かに厳密な構造を生成しており、レヴィ=ストロースの「神話の構造」と類似しているかもしれない。もっともセリ―音楽の構造性は、ネイティヴ・アメリカンの神話の構造のように無意識的なものではなく、あくまで意識的・意図的なものである。こうした意識的な構造は人類学で言うと、ネイティヴの側に存在するのではなく、人類学者の方に存在する。だからセリエリストは無意識的な表出者ではなく、神話の発話者とはちがっているのではないかという気がする。彼らは学者として機能しているだけではないだろうか?
 また、表意性・表情性といった、近代西洋音楽(クラシック)を発展させた支柱となった音楽機能は、こんにち死んだわけではなく、むしろこの面こそが現代の人間社会で活用されている。このように社会が求めている機能を、厳密なセリ―音楽はほとんど切り捨ててしまいがちである。(が、美しく、情緒的なセリ―音楽も、確かに存在している。)
 だからセリ―音楽そのものに、「神話」として社会に働きかける機能を期待することはできないように思う。

 それでも、統合的神話を失って久しい我々の文明において、音楽なり文学・美術なりがその代替として機能しうるのではないかという視点は、たぶん正しい。(ただ、「芸術」は統合的なものではありえない。)
 音楽の可能性の中には、まだきっと、「神話の生成」という役割が残されているのだ。
 
 非常にまとまらない・混乱した文章となったが、私はきっとまた作曲してみるだろうし、そのなかで思考を継続していくことが可能なのではないか、という気がしている。まだ尽きない読書欲と、作曲の具体的な「手法」についての迷いが、私をとどめているだけだ。


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