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キヨシロー!

textes/notes/音楽

written 2009/5/3


 忌野清志郎さんが昨日、ガンで亡くなってしまった。
 2006年に私の姉と父がやはりガンで死に、次は自分の番だろうと思っていたら、そうではなくて、清志郎だった。

 清志郎の音楽については、もう10年以上全く聴いていないのではないか。しかし、学生時代から二十代半ばにかけて、私はRCサクセションやタイマーズを聴きまくっていたのだ。CDケースがすっかり壊れてしまうくらい。そういえば、私が「歌手のライヴ」に行ったのも、今のところ忌野清志郎が最初で最後だ。忌野清志郎は私の青春時代になくてはならない存在だった。
 学生時代の友人に影響されて聴き始めたのだが、その前から吉本隆明氏の『マス・イメージ論』によって、「RCサクセション」が気になってはいた。引用されていたその鋭い歌詞の感性が、私を魅惑したのだった。
 
 こんにち、忌野清志郎は「日本ロックのキング」みたいに言われているが、私に言わせれば、彼のイメージはそういう「王道ロック」のそれとはほど遠い。清志郎は「ロック」という文化の中心にいたわけでは全くなくて、もっと妙な「ずれた」存在だった。
 オカッパ頭でフォークから出発したRCサクセションは、最初から清志郎の手になる鋭い歌詞によって、ふつうの「フォーク」の文脈からもはずれていたが、いきなり髪の毛をツンツンさせパンクなスタイルに転じ、「ロック」を始動したその姿も、なんとなく「ずれて」いた。色彩感覚の全くない、派手なだけの衣装・化粧も、この異様な存在を単なる「ロック」の文脈からも浮き立たせていた。それはどこか非常に不自然であり、辛辣さに満ちた姿であった。
 あれだけ鋭い歌詞を書いた清志郎のことだ、素朴なロック・ファッションに対しても批判的な視点を持っていたのではないか。あの異様な衣装・化粧も、するどい批評性を維持したうえでの「差異化」の無意識の戦略(単なる照れ隠しでもあった)ではなかったか。

 この差異に満ちた、際だった個性は、音楽を単なる音楽として受け取る/論じることをも拒否してしまう。
 クラシック音楽を幾分かでも学んだ目で見れば、清志郎の「音楽」は完全に「素人」のものである。彼は和声法も何も知らなかったに違いない。彼の歌うラインも、妙にゆがんでいたり、はずれていたりすることがあるが、それでも、非常にキャッチ―ではあり、それは彼が日頃音楽が好きだったから可能だったことであろう。
 このような非=音楽性が、「個性」の表出そのものによって価値を確立してゆく。
 清志郎が「日本ロックの始祖」だったとするなら、まさにこの点においてこそ、「素人」がギターを片手に個性的な表出を浴びせかけるスタイルを「新たな文化」として確立したことにこそ、認められるだろう。(しかし忌野清志郎のような存在は唯一無二のものなのだが・・・)

 規範に対する無知あるいは/批判から、規範的な音からいつも身をそらしてゆく清志郎の、あの歌声・・・。
 絶えずずれてゆく・・・どこまでもずれてゆく音たち・・・。
 この逸脱の過程は、批評というものが自分自身をさらに批評しかえそうとするために、メタ批評・メタ自己を絶えず生産し直し、無限の彼方へとループしていってしまう、ロラン=バルト的な意識の旅路にも似ていなくはないか?

 それはアカデミックな音楽愛好家たちには決して到達し得ない、ナマの、まさにナマナマしい「音楽」だった。そう、それは「音楽」だった。知ったかぶりの奴らにはうかがい知れない、私たちの住むこの世界でこそ生まれ得た、批評意識と熱い体温に満たされた「音楽」だった。
 この「音楽」の価値は、ベートーヴェンの研究家にはわからないだろうが、俺たちは、知っている。


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