衰弱
textes/notes/雑記
written 2009/3/1
制作中の曲は遅々として進んでいない。
サウンドの使い方とか、今までにないことをやっているし、DAWのこれまで使用しなかった機能も駆使しなければならない。それ以上に、楽想の輪郭がはっきりとまとまっていないので、手探りの状態だ。
だいたい、今は創作よりもCDを聴くのに時間をかけている。
何か気に入った音楽が見つかると、私はいつも小遣いをつぎ込んでたくさんのCDを買い集め、しばらくそればかりを聴きまくる。今はビル・ラズウェルの近年のアルバムだ(Inamorata、Profanation
、Lodge
)。ジャズ・スタイルのトランペットを多用することもあり、70年代のエレクトリック・マイルスのような、激しくブロウするややフリーなジャズに、妙に近づいている。ラズウェルが見つけた「今のサウンド」はこれなのか? よくわからないが、この騒々しさは、例の「癒し」を標榜するイージーリスニングっぽい音楽とは正反対のようでありながら表裏一体で、現代人の神経の「ぶれ」を象徴しているのだろうか。かくまで恐るべき「空虚さ」を体現しながら、ビル・ラズウェルはそのことに自覚的なのだろうか?・・・
ところで、目下「クラシック」とは離れた場所で楽曲制作をしつつ、ふと、自分は「音楽を書くために考えてきた」のではなく、「考えるために音楽を書いてきた」だけなのではないかと思い当たった。
ntという存在が維持し続けているのは、単に「思考」だけなのかもしれない。「思考」がすべてであって、音楽など付随物にすぎないのかもしれない。
だとすれば、いっしょうけんめいネットに垂れ流して来た私の「音楽」は「思考」の過程で吐き出されたクズであるに違いない。クズをまきちらす私は無法な存在で、それらクズは手に取ってみるのに値しない、解読不能な切れっぱしだ。
それにしても、私はずいぶん衰弱してきた。
「音楽」はおろか「思考」さえも、火が消えるように消えつつあるのではないかとこのごろ思う。
単に「熱の出ない変な風邪」をひいていて体調も悪いのだが、歳のせいで(40まぢか)なにかが壊れ、衰弱しつつある。そう感じている。DTMをやっているとき、私は非常に姿勢が悪いのだが、最近はこれが腰にこたえる。おまけに集中力も持続しないようだし、ぼんやりしている。
音楽や読書から得られる「感動」もあまりなくなってしまった。「おもしろいな」とは思っても、若い頃のように激しく心を動かされるまで行かない。
かといって「不惑」に向かって大人びているわけでもない。単純に、衰弱している。と、思う。
そうして何もかもがダメな方向へと向かってゆく。
「夢の存在」である「nt」は、たぶんまもなく消えてゆくのだろう。
ntは消え、何も残らない。
それはあと何年? 何ヶ月?に迫っているのだろうか。
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