倖田來未「TRICK」
textes/notes/音楽
written 2009/1/29
倖田來未のニューアルバムが出ると知った時、彼女のCDはもういいかなあ、という思いもよぎったのだが、これまでいろいろ書いて来た手前、一応最後まで見届けようかと思い直し、予約購入した。
早速聴いてみて驚いた。
「TRICK
」、これはいい。久々にいい。傑作かもしれない。
本人も最近の「くぅちゃん」路線から転じて、「かっこいい」路線に戻ってみようと強く意図したアルバムのようだ。クールなダンス・チューンが圧倒的に多く、手を抜いた半端な曲や、とってつけたような「かわいい」系ポップスもない。最近少々鼻についていた、けれんみやわざとらしさ、ある種のいやらしさ、多彩にしようとしすぎて薄味になってしまったような所が全然ない。
図太いベースに乗り、にぎやかなシンセ(サンプリング)サウンド、時としてディストーション・ギターのサウンドも重ねた、音圧の高いダンス・チューンはavexサウンドの真骨頂である。また、熱く激しい曲を前半に持って来て、力の抜けた明るい曲を後半に固めた辺り、ちょっと浜崎あゆみのアルバムを連想させる。
冒頭の「INTRODUCTION FOR TRICK」が非常にかっこよく、短かすぎるのが残念なくらいだ。続く楽曲はどれも快く、はっきりと「ハズレ」の曲はない。大ヒットに必要なキャッチーな曲はないが、全体の心地よさはかつてないほどだ。最近よくやってた、あの無意味でくだらない「アラビアふう路線」も今回はない。・・・強いて言うとFergieと組んで歌った「That Ain't Cool」は誰かが適当に作ったという感じの、駄曲だ。
「Moon Crying」は、例の「羊水」発言事件のあとにリリースされた、いわば謝罪シングルだったので、当時興味を持って購入したのだが、そのときはそんなにいいと思わなかった。が、今聴くと意外といいかもしれない。大ヒットには結びつかない地味さ・普通っぽさだけれども。
「TABOO」は冒頭の「TRICK」より劣るし、テレビで聴いた際はつまらなく感じたものの、アルバムバージョンはそんなに悪くない(ミュージックステーションとか紅白とか、テレビで視聴すると誰のどの曲も劣化して感じるのは、高度なサウンドテクノロジーがテレビでは発揮できないためだろうか?)。
今作では作曲・アレンジ陣も本来のテイストを遺憾なく発揮している。Daisuke Imaiさん、渡辺未来さん、それに、初期の頃からずっと倖田來未のそばでその名をちらつかせ、活躍してきた(もちろん、他のavex系でも大忙しのようだが)h-wonder氏もいい仕事をしている。ボーナス・トラックの、ショッキング・ブルーの有名な「Venus」のカバーでは、歌がどうこういうよりも、h-wonder氏のアレンジがとにかくかっこいい。
おまけDVDの2枚目のライヴもなかなかクールだった。個人的にはデビュー曲「TAKE BACK」のディスコバージョンに感動した。
以前にも書いたが、倖田來未という記号 signe が現代社会に作用する、その作用の本質は、「化ける」本性にある。彼女は「歌のうまいディーヴァ」に化け、「エロかっこいい」女に化け、象徴的な曲「Butterfly」にあるように、化粧やネイルを駆使して「キレイな女」に化ける。化けることがBurning Heartだ。たとえ内容がどんなに空疎でも。
その実、生身は「普通の女の子だよ」ということを、ブレイクと同時に「ぶっちゃけトーク」を携えてテレビに露出し、アピールしてきた際には、「かっこよさ」に興味を持っていた男性リスナーはちょっと引いたのだと思う。
が、その「化けっぷり」は、いつの世でもステキな何かに化けたいと願ってやまない、若い女の子たち(往時の魔法少女たち)の圧倒的な共感を得ることに成功した。さらに彼女が繰り出した「『かわいい女』に化ける路線」は、ますます男性ファンを離して行ったが、若い女性たちをさらに強く掴んだようだ。
PVでしつこいほど繰り返されて来た「男性たちをはり倒す、クールで強い女性」というイメージは、男性の総体を自分の周りにつなぎ止めたまま支配したいという、女性の根本的な欲求を表象しており、これも女性ファンにアピールした一つの要素だろう(ちなみに男性の普遍的欲求とは、自分の都合のいい時だけ、かわいい女性を人形のように楽しみたい、という他愛のないものである)。
「羊水」発言事件では、当の30代の女性たちも怒ってはいたようだったが、もっと過剰に反応し大騒ぎしていたのは、実は当事者でもなんでもない男性が多かったのでは、と私は推測している。はじめちょっと「倖田來未いいかもしれない」と思っていた男性陣は、ブレイク後の彼女のふるまいにうんざりし、その浮薄なキャラクターに憎しみを募らせていたのではないか。あるいは男たちは、彼女のような「キャラクター」が表徴する女性的なるものの一面の不透明さに、本能的に隔絶を感じたのだと想像することも不可能ではない。
だが、あれほど騒がれても若い女性のファンは変わらず熱く支持し続け、おかげで彼女は復活することができた。
今作「TRICK」を聴けば、この路線で今後倖田來未のカラーを決めて行くのなら、男性ファンをある程度取り戻す可能性はある。もっとも、彼女やプロデュース陣はそうは計画していなそうな気がするが(どうも、倖田來未については、プロデュースの方向性が一貫していないように見える。本人の意志以外の部分でも)。
私としては、彼女はあんまり一流の、シーンのトップで派手にアピールすることより、(こんなこと書くとまた純情な女子中学生ファンに抗議されそうだが)あえて「B級」なポジションに身を置いて半ばカルトに活動した方が、その本来の魅力(チープさ・あるいは空虚さそのもののかっこよさ)をずっと保つことができるんじゃないかと思う。ただ、レコード会社や事務所も稼げるだけ稼ぎたいから、そうも行かないのだろう。
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