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textes/notes/雑記

written 2009/1/19


当サイトのアクセスカウンターはPHPプログラムなので、サーチエンジンのロボットによる巡回も拾ってしまう。このため同一IPによる同日のアクセスを1度しかカウントしない方式にしても、割とめまぐるしく数値が上がってしまうのだ。
しかし、実際にはこのサイトを訪問して下さっている方は(検索エンジンからの来訪を除けば)非常に少ない(ほんの数名)だろうと思う。
苦労して作成した創作楽曲も、そんなに沢山の方に聴いていただいてはいないだろうし、たとえ聴いても、私の音楽に何らかの印象を持って下さる方となると、ほんの一握りであろう。
倖田來未や松田理奈さんについてちょっと書いたりすると、なぜか不本意に検索の上位の方に出て来ちゃったりするのも、おちゃめな一面だろうか。
ただ、アクセス解析などぼんやり眺めてみると、ある時期からsosoなる中国の音楽サイトを経由して、楽曲ファイルへ沢山のアクセスがある。
特に多いのはモーツァルトのソナタと、シマノフスキを演奏したMP3だ。自作曲でも、Pulse第2楽章や、かなり古いジャズ系の習作である「Time」といった曲に、なぜかアクセスが集中していておもしろい。
当サイトの掲示板は英語での書き込みを完全に排除している。かつてあまりにスパム投稿がひどかったからだが、外国の方の感想は今では全然来なくなっており、まさに島国ニッポンといったところだ。


自分のサイトの宣伝とか、ネット上での他人との交流とか、コミュニティやら掲示板での活躍とか、もう全部面倒になっているので、なんだかぼんやりと、あまりにも孤独でマイペースな活動を延々とやっているだけだ。
私は社会で力強く生き抜くタイプではない。
そういえば小中学校のころ、鈍足でぜんそく持ちだったのでマラソン大会はビリが当然。完走できるかどうかという目標だけを持っていた。苦しくても走り抜いてなんとか完走した私を、両親や先生は誉めてくれた。いまどきの右派の杜撰な論者に言わせれば、「競争社会」での弱者で敗者であるとして切り捨てられることになるだろう。
自分は「社会」とはちょっと離れたところに自分の居場所を作り、ひそむことにした。
結局私はネットでも、孤独なポジションに自分を置いているし、置かざるをえない経緯もあったと思う。(自分だけの、独自の嗜好や思考に基づいた音楽的探究の方向性など。)

社会生活において自分の「ポジション」を把握することはとても重要だ。
しかし別の目線で見れば、存在可能性の無限の宇宙のなかで、「この社会」のポジションはいったいどうなのか。という、より大きな問題が先に来ることに気づく。「社会内の個人」を評価するのではなく、「社会」を評価しようという逆転。
だいたい「この社会」というもの自体が、実体のない共同幻想ではないか。
ある集団やある特定時期・ある特定地域のちっぽけな「社会」で「敗北」した者を笑う連中は、そんな「社会」の側に身を寄せ権威を借りたつもりになっている、虫のようにちっぽけな弱者にすぎない。
強くあるためには、おそらく誰かに勝つことはまったく必要ではないのだ。

強弱も勝敗もどうでもいいと思うくらいこの世に疲弊しうんざりしているとき、あらゆる種類のちょっとした音楽が、私を感動させてくれる。
人は一度はうつ病になってみるといい。


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