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コーエン兄弟の「ノーカントリー」

textes/批評/映画

written 2008/12/30


アメリカ映画ながら、シニカルでカルトな感じが好きで、コーエン兄弟の映画を愛好して来たのだが、その最新作「ノーカントリー」(2007)がアカデミー賞など各賞をたくさん貰ったと知り、ずっと「観たい」と思っていた。DVDが出る時も予約購入するかどうかでさんざん迷い、結局値段の高さのため、CDの方に予算をとられて逃した。
が、ついにスカパーで放映。早速録画し、DVDに落としてMacで観た。

2時間釘付けになるスリル。張りつめた緊迫感。コーエン兄弟の、これまでのブラックユーモアはない。やたら印象的な殺人鬼のキャラクター同様、「ユーモアがない」のである。しかし、凄まじい緊張感で、ぐいぐいと見せられた。これはおすすめしたい映画だ。・・・ただし、残酷な血まみれシーンが妙に生々しく、そういうのがイヤな方には薦められない。
私が最も感動したのは「音楽のなさ」だった。
どだい映画やTV番組など、現代は音楽がありふれすぎなのだ。コーエン兄弟はここではBGMを完全に廃し、静寂を最大限に活用してスリルを醸し出した。映画中、ドラマ内でただ一度だけ音楽が出現するのだが、それもすぐに中断される。エンドロールにさえ音楽がないのか・・・と思ったが、少し流れた。音楽というより、さりげないサウンドという具合だったが。

映画の内容についてはそのへんの映画評でみてほしいが、コーエン兄弟のいつもの映画のように、人物たちはやはり次々と、意味もなく野垂れ死にしてゆく。そうした生死の「意味のなさ」を、彼らの映画はシニックな笑みを浮かべながらとらえて来たのだが、今回はユーモアがないだけに、より冷たく、むごい。トルーマン・カポーティの『冷血』を思わせる冷たさだ。殺される人々はみな「殺す/死ぬ必要はない」と言うのだが、まさにみな、必要もなく死んで行くだけだ。それは「必要のない生」を逆に指し示してもいるわけだが。
こうした大枠は原作によって規定されたものだと思われるが、今回の映画はいつになくメッセージ性が強いのもそのせいだろうか?
私はいつも「日本」の病いを批判して来たが、おそらく、アメリカという国はそれ以上に病んでいる。この「時代の病い」がえぐられていて印象深い。
「何も止められない」
という、反復される台詞がこの破局感を乾いた・冷たい情緒とともに呼び覚ます。

とりあえず「BGMの不在」による(ある意味日本的な?)緊張感という画期性、そして内容の、ストラヴィンスキーよりも乾いた、「現代」ならではのニヒリズムゆえに、傑作としたい映画です。


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