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[解説]残酷な小曲集

textes/自作解析

written 2008/3/4


2007年暮れ頃、ルネサンス音楽、次いで中世音楽に突如つよい興味を抱くようになり、ピアノ伴奏つき声楽曲「Kyrie」を書いたが、次に、扱い慣れたピアノ・ソロのフォーマットを用いて、西洋古楽的な要素をとりいれた創作を試みようと思い立った。それがこの「残酷な小曲集」である。
これはルネサンスないし中世の音楽様式をそのまま模倣しようという意図ではなく、そこに見いだされるなにがしかの「非-近代」的精神を音楽の中核に据え、現代的な手法によりリビドーを発出しようという企みである。
かつて、2000年に私はバッハ様式をモロに模倣しようとしたが、結局はそこから逸脱し、近代的ないし現代的な尺度で独自に書法を磨くことになったのだった。今回ははじめから模範からの「逸脱」をあてにしている。これまで使ってきた対位法、和声法、現代音楽的センスをそのまま用いながら、古楽的リビドーの衝撃に身を委ねようとしたわけだ。

近代音楽に慣れ親しみ、近代音楽を自己にとってのナチュラルなものと受け止めている我々にとっては、古楽はまずは「他者」であり、この出会いは衝撃的で残酷なものになるだろうと期待した。 そこでタイトルは「残酷な小曲集」になった。

この実験プロセスは、書いた曲を順に見ていくとわかりやすい。
以下、書かれた順番でコメントしていくことにしよう。

パストラール Pastorale (2007/12/9)

最初に書いたこの曲には、はっきり言ってまったく古楽風なところはない。これまでに書いてきたもの、たとえばインヴェンションのシリーズに含めて何の違和感もないだろう。
私はここでは、あいかわらずある種の和声進行に気をとられすぎていた。だからまだ、何も変わっていない。何も破壊されてはいない。ここは単に凡庸でのどかな田園風景に過ぎない。
「残酷な小曲集」のプロセスとは、「パストラール」で表出されたような世界観が、破壊され、蹂躙され、瓦礫の中から新たなリビドーを発掘しようとしてゆく、「残酷な」過程なのである。

プレインソング Plainsong (2007/12/9)

曲集の最初に単旋律の楽曲を置くことは最初から決めていた。そのために、「インヴェンション第2集」に収めることが出来なかったのだ。
有名なグレゴリオ聖歌ばかりか、12世紀頃までの中世音楽はほとんどが単旋律である。
初めてこのようなピアノ曲を書いてみたのだが、作品の出来の良し悪しに関わらず、これは貴重な体験となった。
旋律は、和声など伴わずとも十分に「音楽」なのである。この当たり前のことが衝撃的な事実でもあるかのように、私の目を開かせた。

インヴェンション Invention (2007/12/9)

「パストラール」があまりに調性的で牧歌的だったので、鋭さや違和感がほしくなり、無調的な響きを対位法書法のなかで展開してみた。 無調に傾いても、ここでは何となく調性的な表情が残っており、中途半端な印象が強い。

ミゼレーレ Miserere (2007/12/16)

明らかに、ジョスカンをはじめとするルネサンス多声音楽を狙った曲。
しかし、旋法についての理解と修練が不足だったせいもあり、妙に調性音楽的な響きになってしまった。
音楽の高まりの部分で複調的な不協和の響きが出現するものの、全体的にはやはり調性っぽかったようだ。
また、根本的に、声楽で鑑賞される音楽の魅力をピアノという抽象性の高い楽器にそのまま移植する、というのは結構無理がある。
声楽だからこそ表出されうるものを、オルガンならまだしもピアノでやろうというのは、もしできたとしても、曲芸のたぐいでしかないだろう。ピアノは、ピアノとして生きなければならない。「ミゼレーレ」の失敗により、私はピアノのピアノ性を強く意識することになる。

トッカータ Toccata (2007/12/27)

タイトルからしてピアニスティックである。
しかしそこから予想されるほど、この曲は高速でも華麗でもない。ただ、メカニカルな音の動き方が、器楽ならではの冷たい触感をもたらしてくれている。
「ネウマ」など後続の曲に比べればまだ調性的で(かろうじて旋法を意識している)、単純な印象の曲ながら、「残酷な小曲集」がめざすべき方向性、「残酷な音楽」のイメージの発見は、この曲あたりから始まったと言っていい。

ネウマ Neuma (2008/1/3)

こんにち使われる五線譜以前、楽譜はネウマ譜と呼ばれ、音符をネウマと称していた。
この曲のタイトルはなんとなく決めたもので、さほど意味はないが、私はここではついに教会旋法も放棄してしまっている。つまり既存の枠組みを破壊して「音そのもの」を書き記そうという段階に突き進んだわけだ。
旋法を捨て去ることでとうとう調性的なものから解放され、より自由に飛翔することができるようになった。
表面的な意匠としての模倣を捨てることで、中世・ルネサンス音楽の鑑賞からヒントを得た旋律的強度、対位法の各声部の独立による多細胞性、異邦的な「他者の思考」に基づいた旋律や構造の発想、これらのより重要な核心を追究することが可能になったわけだ。

すると音楽は一気に強度を取得したかのようだった。
この「強さ」は、音楽という営みが確かに営まれるに至る原初の欲望であり、理屈や時代様式やあまたの言説を乗り越えて、音楽が音楽としてただ存在する基礎を築く、解読しえない身体である。身体とはこの場合、記号 signes の体系に回収されない外部の実存であり、つまり非-記号的実在であり、他者の他者性でもある。

おそらく、この曲はとりとめのない印象を与えるだろう。
曲を一貫して構築するような主題はなく、後半繰り返される旋律も出てくるものの、それが主題として展開されるというふうでもない。つまり近代音楽の尺度に照らしてみれば、ここにはまるで「構造」がない。冒頭から、なにやら即興的に音楽が流れていくという感じだ。
このような非-構造体としての構造は、実はクラリネット三部作、「ル・ムーヴァン」を書いたとき、すでに頭にあったものだ。その時点ではイメージが漠然としすぎており、失敗したのだが、このとき私は中世音楽との出会いを待っていたらしい。
中世音楽の非-構造性は、「知の権力」に基づく近代的構築法にまだからみとられていない。
そう、近代音楽で常識となっている「構成原理」を私は破壊したかったのだ。人間的作為にすぎない「構成」を逸脱し、「知の権力」に反逆し、もっと原初の(知が世界を支配する以前の)地点までさかのぼることで、あらゆる言説から解放された「ただひたすら音楽であるだけの音楽」を、私は望んでいたのだ。「ル・ムーヴァン」での私は方向性を見いだせずに失敗したが、「ネウマ」では自信をもって遂行し、ある地点まで進出することができた。

かくして私の思考の累積と、探究心に満ちた音楽創作の冒険は、結実した。
これはゴールが見えた、ということだ。
もちろん、「ネウマ」1曲がことさらに優れた作品だと言うつもりはない。ここには未熟さも過ちも、相変わらずたくさん残存している。ただ、この曲が開示してみせた「可能性」が、ついに「私が書くべきもの」と一致したというだけだ。

もしかしたら、私の「音楽の冒険」はここで終わりを迎えるのかもしれなかった。

オルガヌム Organum (2008/1/12)

「ネウマ」を書いたことで発生した熱にうかされたまま、間を置かずに作った曲。
オルガヌムは平行4・5・8度が多用される、中世の初期ポリフォニー様式のことだが、この曲はその様式に則っているわけではない。平行4・5度を多用しているというくらいである。
並行進行によるコラールふう楽節は、オリヴィエ・メシアンの官能的和声への憧憬とも重なり、このように劇的な音楽となった。
この曲は、「ネウマ」で示された方向性でさらに手法を展開させたもの、と位置づけることができるだろう。
楽曲としては「ネウマ」より優れているかもしれない。が、もちろん、未熟な点も見られる。

「ネウマ」「オルガヌム」と、白熱した作曲を続けた私は少し休息をとることになる。なんとなく、自分の音楽上の探究が終りつつある予感があったし、そう思うと新たに書く気力が湧いてこなかった。熟練と完成度の問題は別として、私はどこか到達すべきところに、到達してしまったのだという終末感が漂う。
この2曲は、この曲集の頂点であり、私の全創作においても特異な場所を占めると言ってかまわない。

カンティガ Cantiga (2008/3/2)

「cantiga」はスペイン語で単に「歌」を意味しているだけのようだが、もちろん、私の創作の動機となったのは、13世紀にアルフォンソ10世の名の下に編纂された「聖母マリアのカンティガ集」のCDであり、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの単旋律声楽曲のCD(Sequentia)であり、スパニッシュやアラビアンな民族音楽的特色が興味深い、ジョエル・コーエンによる「地中海のクリスマス」というCDなどである。

旋律自体の強さを信じ、変形せずに何度もメロディーを繰り返すこのスタイルは、民衆の「歌」というものを召還しようと意図したものだ。
中世の民衆の歌は、単純で力強く、確固としてそこに存在する。(近代的視点から見た)作曲家の「意図」だの「表現」だの「個性」などというものは、この場所では無力である。そのような個人的作為から遠い地点で、民衆の「歌」はそれでもなお、強烈な魅力をもった芸術たりうる。近代以降の「芸術」概念は破壊されてしまえばいい。その権力的「表現」のがらくたの先に、人は「音楽」をやっと見つけることだろう。

さて、この曲「カンティガ」では「歌」だけではなく、民衆の「踊り」の要素も狙っていた。
客観的に見てこの曲の完成度が低いのは、そのような「大衆的エネルギーが爆発する次元=カーニバル」にまだ届いていないからだろう。
しかし、これを書きながら私は実に奇妙な感覚に襲われた。
書いている主体としての自己に、これまで愛好してきた音楽の諸要素が次々に流れ込んでくるような感覚だ。
書きながら、アルス・ノヴァが、メシアンが、ストラヴィンスキーが流れ込んでくる。シマノフスキもやってくる(この曲で使用している旋法はシマノフスキのものを参考にしている)、ベンジャミン・ブリテンも影を落とす、かと思うとジャズ/ポピュラーミュージックふうのリズムも流入してくる。
このようにあらゆる要素が混然と同居し、熱を放ちながら旋回し始める・・・。
人間はさまざまな記憶の堆積を背負いながら書くのだから、これは実は当たり前のことなのだろうが、それが実感として、身体的感覚として知覚されたのは希有な体験だったと思う。

しかしここは確かに終末の地点なのだろうか?
私は熟練と拡張以外に、今後なにを試みればいいのだろうか?


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