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ポピュラーミュージックをいかに語るべきか

textes/思考

written 2006/5/27


バッハやモーツァルトが世俗の舞曲や音楽の悪ふざけを愛したように、巷間に流行する音楽を注目することは、決して非難されるべきことではない。

今日、音楽といえばまずはポピュラー・ミュージックであり、「シーン」に見られるさまざまな記号や意味を分析することなしには、もはや音楽を語ることなどできないはずなのだ。

しかし問題なのは、今日のポピュラーミュージックが、きわめて難解な要素を含んでいるということだ。
そもそも「ポピュラーミュージック」とひとことで言っても非常に多岐にわたっているわけだし、一刀両断にばっさりやるよりも、個々のシーニュsignesをじっくりと解釈するべきだろう。

たとえば、今日のポピュラーミュージックの評価の世界では、音楽そのものだけではなく、「アーティスト」のビジュアルや総体的なイメージなど、マスコミの各レベルに横断するような、多層的なsignesの連鎖が極めて重要な要素となっている。
つまり、問題は音楽のレベルだけでなく、文学や思想のレベルにもわたっている。
だれも「音楽」を「音楽」として語ってはくれない時代なのだ。

ただ、批判するべき点は、そうしたsignesの連鎖による複雑なイメージの成り立ちについて、だれも真剣には思考していないということだ。
それは「とても追いつかない」せいなのかもしれない。
つぎつぎと立ち現れては消えていくマス・イメージの1個1個を、(『モードの体系』における)ロラン・バルトのように緻密に思考することなど、物理的に無理な相談なのかもしれない。


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