14世紀のモダニスム
textes/notes/音楽
written 2008/2/13
少し前に、アルス・ノヴァの作曲家ギヨーム・ド・マショー(1300?-1377)のCD「シャンソン集」(Orlando Consort)にはまり、毎日何度も繰り返し聴いていたが、最近、フィリップ・ド・ヴィトリ(1291-1361)の「モテット・シャンソン集」(Sequentia)と、「シャンティイ写本 Codex Chantilly」(マルセル・ペレス、アンサンブル・オルガヌム)のCDを入手し、これらを堪能しているところ。
ヴィトリはその著書によって「アルス・ノヴァ(新芸術)」を確立したとされるが、その著書を読んだことがないので、詳細はわからない。アルス・ノヴァはリズム(シンコペーションやイソリズム)、対位法の複雑化が顕著である。
ヴィトリは聴いた感じではまだそうでもないが、その後継者?マショー(彼は詩人として、文学史上も重要な位置にある)の音楽は、いま聴くとかなり奇妙で人工的な感じがし、独特な刺激をもたらしてくれる。それ以前の音楽とは感触的に一線を画している。
中世の西洋絵画を見ていると、人物の表情や姿勢が妙に硬直していたり、遠近法的無秩序があったりして、独特の「ぎこちなさ」を感じるのだが、この感じがこの時代の音楽にも強まっている。当時の人びとには全然そうは思われなかったのだろうが、私たちには「まるでロボットの世界のよう」とさえ感じ取られるのだ。これを稚拙さと呼ぶのは簡単だが、我々が遠近法や「知識に基づく正確なデッサン」などという近代絵画上の「自然」に慣れっこになってしまっているので、その尺度を逸脱する異文化的要素を「稚拙」と認識してしまうだけであるに違いない。
むしろ私には、こうした「ぎこちなさ」は、刺激的な他者の現前と思われる。
それは理解しきれない超越であり、つまり我々にとって「既存の」コードには収まりきらない外部の存在であり、非=自己であり、残酷でおそろしいもの、かつ、無限の憧憬をかきたてるもの、「他者」なのだ。
シャンティイ写本(シャンティー写本)は14世紀末ごろに編まれたようだが、マショーより少し後の時代の、14世紀後半作曲家のポリフォニックな作品が収められている。
これがポスト=アルス・ノヴァである「アルス・スブティリオール」と呼ばれる様式で、さらにリズムが複雑化し、旋律の人工性など、不思議な感覚が強まっているのだ。
この人工的な感じは、恐らくマショー以降の14世紀フランスの作曲家たちが「書くこと(記譜すること)」をことさらに意識し、音楽の成り立ち方が「ただ歌われるもの」から「書かれたもの=エクリチュール」へと転身したことを思わせる。
ここで露出した「エクリチュールのエクリチュール性」は、それまでの「素朴な歌」への批評的思考となり、逸脱となることを考えると、14世紀に突如現れたモダニスムを示していると言えそうだ。
20世紀初め頃のモダニスムが、音楽の世界においても極めて豊穣な広がりをもたらし、現在に至っても強烈な輝きに満ちた刺激を与えて続けてくれるのと同様、この「中世末期のモダニスム」も強靭な存在感を持っているのではないだろうか。
マショーや「シャンティイ写本」のエクリチュールにはストラヴィンスキーにも似た冷徹な思考の軌跡があるし、後者にはポスト・モダニスム的な前衛性も色濃く、例えばこのCDに含まれていたソラージュ Solage という作曲家の作品「Fumeux fume par fumée」は半音階を用いた、異様な酩酊感を持っている。
しかし中世のモダニスムは時期尚早すぎた。
ヨーロッパ音楽史の流れはまもなくイギリスからやってきた、三和音を基礎にした流麗な旋律性とシンプルな形式性に支配され、エクリチュールの探究はよりなめらかな線的対位法へと移行していくのだ。
デュファイやバンショワらと、マショー、アルス・スブティリオールとのあいだには底ふかい断絶があるように見える。
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