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記号の国

textes/思考

written 2003/9/19


「書くこと」はついに、記号の社会的連鎖の網を突破できるだろうか。

私たちは 記号の国 に住んでいる。
言説 は日常のあらゆる箇所を満たしており、 記号を介さず「もの自体」に直接触れることが、よほど困難にさえ見える。
そして私たちは記号を身にまとうため、意図的に努力している。
あるブランドの装飾品は記号として存在し続けるため、 決して「もの自体」としての本性をあらわさない。私たちは、記号を買い、記号を求め、 記号を身につけることでかろうじて、「社会」という幻想にぶらさがっているのだ。
そしてこのように「現実」を語ろうとすること自体が、記号的な幻想の枠の内側に 甘んじていることを露呈してしまう。
文脈は記号の組織の上にしか成立しないから。
そうして、言説は「 既存のコード 」と「 欲望 」のはざまで、 絶えずうめき声をもらしている。

「書くこと」はついに、記号の社会的連鎖の網を突破できるだろうか。
突破すること、これだけは私たちの共通の 「夢」だが、その夢でさえ、社会が提供する記号のひとつにすぎないのだ。


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