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解説 [前奏曲とフーガ・3 (2003)]

textes/自作解析

written 2002/8/25


 ひとまとまりの音像がなにごとかの意味を生成する。私のポリフォニー理念は、同類の意味をならべただけでは達成できない。いくつもの意味生成が展開されなければ、音楽は単なる独白に終わってしまうのだ。
 私の従来のやり方は、極端に言えば、シーニュとしての音像のシニフィエ(意味されるもの)は等閑に付して、シニフィアン(音像そのもの)を純粋に対位法的に構築してみる、という方向性をもっていた。しかし、結局のところ意味を無視することはできないし、そんなことは音楽性に反している。
 コノテーションを恐れることはない。意味から意味へと自由に飛び回ればいいのだ。
 私はこの新しい課題に取り組みたい。

 

 前奏曲は、ホモフォニックで、ロマンチックだ。私はこのところスクリャービンをしきりに聴き返していた。ここでは神秘和音も使用している(これまでもたまに使っていたが。ちなみに、私はそれを自分流に変形し、縮小して=非神秘的にして使用している)。
 フーガ主題は、分散和音ふうの16分音符の流れのなかに埋め込まれている(実際の演奏にあたっては、打鍵の強弱とペダリングを駆使して主題を浮かび上がらせねばなるまい)。この16分音符の流れは可変的であるが、一種の叙情性を絶えず表出する。この意味作用は変形できなかった。
 そこで、ダイナミクス以外の方法で楽曲に多様さを与えるため、第2主題が登場し、さらには前奏曲の主題も回帰する。唐突に終了させられた前奏曲が、復讐のために戻ってきたと言うわけだ。
 こうして、この「前奏曲とフーガ」は、ほとんど1個のソナタ形式に近づいた。
 ただ、意味の複合体を生成しようという試みはいまだ達成されたとはおもえない。もっともっと、他者への飛躍が必要なのだ。
(ところで、19世紀的な意味での、楽曲の物語構造化ということに関しては、私は以前から否定的だ。ここで私が言っている複合化というのは、意味を動的にゆさぶり、他者から他者へと転身していこうという、真にポリフォニックな構築法のことだ。)

 なお、フーガ部分は3声である。第1主題が分散和音とともに現れるため、音が厚くなりすぎたり演奏が困難になることを避けようと声部を減らしたのだが、第1主題が提示される以外の部分では、どうも音の層が薄く感じられるようだ。

なお、下のふたつのPDFファイルは、旧サイトにて一時期公開していたもの。サイトのURLは古いままになっています。
 解説付き譜面pdf
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