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ガジェットの記号作用

textes/思考

written 2006/6/7


私たちは、がらくたが大好きだ。

一見無用に見え無価値そうなガジェットは、その無用な機能においてうつくしく、おもしろく、愛らしい。
この「無用さ」は、だから何もないということではない。通常の意味規範を逸しながらも、ガジェットは記号作用を備え、なんらかの心的価値を持つにいたるだろう。
それはどんな価値になるのだろうか。

たとえばチャップリンの「モダンタイムス」やロバート・デ・ニーロも出演するテリー・ギリアム監督の「未来世紀ブラジル」にはガジェットが多数登場し、嘲笑を誘いながらもその魅力を隠すことができない。
フィリップ・K・ディックの小説はガジェットだらけだし、ビル・ラズウェルの音楽装置も同様。吉田戦車氏やしりあがり寿氏の漫画は、作品それ自体がガジェットだ。

これらガジェットはうわべだけきらきら輝きながら、意味を破壊し(しかし本当は破壊することはできない。せいぜいかく乱させるだけだ)、新たな意味を創造するようでいて何も創造しない。
それは結局、「ガジェット」というひとつの装置になるのだ。
ガジェットはひとの思考をいったん停止させる。
ガジェットはひとの欲望を麻痺させる。
ガジェットはひとの意識を覚醒させる。
ガジェットは価値体系を破壊する(ように見せかける)。
ガジェットは記号操作によって生み出される。
・・・


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