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文学について

textes/思考

written 2002/3/12


文学という言葉が指し示しているのは、文化現象の核心をなしている領域で、それは恐らく、ひとつの文化の心理状況あるいは構造の根底を体現するような領域であるに違いない。
 
ヨーロッパの19世紀は、文学、とりわけ詩の世紀だった。
上層の階級では、教養人は詩をいくつも暗誦できることが当たり前であり、この時代のランガージュのなかで、「詩」とは芸術そのものを指していた。美術も、音楽も、詩を基準にして理解されたし、それを前提につくられていたに違いない。
この時代の大きな潮流「ロマン主義」は、個人(詩人)が自然やできごと(あるいは社会的な事象)に何事かを感得し、その感動を言葉や旋律や色彩にして表現(あるいは再現、再構成)する、という定式に基づいている。
このわかりやすい表現方法は文学のもっとも基本的な機能だ。
ドラクロワやミレーやシューベルトやヴァーグナーの作品は、絵画・音楽であると同時に文学でもある。
文学と絶縁することが、20世紀のはじめに噴出した芸術運動の課題だった。文学自身にとっては、過去の文学における「意味の体系」からいかに脱却するか、が課題であった。
(もっとも、20世紀以降も「文学的な」絵画や音楽は存続しつづける。たとえばシュルレアリスム美術やシャガールやメシアン)
 
現在も文学が文化の根幹であることに変わりはない。
いま、芸術作品としての文学は拡散してきているが、代わりに大衆的なメディアとして、映画・マンガ・ゲーム等といった姿にかわって、文学は脈々とつづいている(これらの表現物はすべて、文学的な現象である)。
これらは文化的なコードを用いた戯れであるか、もしくは既存のイメージを延命するための装置であり、社会的な欲望を再生産しつづける工場である。
 
しかし、文学そのものを語るためには、文化そのものを相手にしなければならない。
これをやるには何十年もの研究が必要になるだろう。


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