見失われたもの
textes/思考
written 2002/1/28
私たちはずいぶんながいこと、
他者
を見失っていた。
テーブルの反対側に座っているあの人物、あの顔は誰だろう?
言葉は他者に接近するために、きわめて有効な道具とはいえない。言葉は言葉のために存在するのであって、コミュニケーションの道具ではないからだ。他者とものや欲望を交換しあうためには、むしろ、動物の鳴き声のようなものか、フェロモンがふさわしい。
文化の中に浸りこんでいる私たちの世界では、他者と自分の差異・他者と他者の差異はうまくごまかされて見えづらくなっている。
数々の
言説が
他者を隠す。
言説はひとを自らの体組織の中に埋没させてしまう。
しかし、見つけ出さなければならない。他者は私を超える何者かであるからだ。
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