[ 写真とは何か〜バルト『イメージの修辞学』 ]へのコメント
textes/批評/哲学・思想
写真とは記録である前に個人の記憶の部分が大きな要素をもつ。いわゆる個人の環境、学習等が、複雑にからみシャッターを切るものと思う。人はどの様なものに対してもシャツターを切る訳ではなく、好み記憶に頼るものが多い。
(09/9/3 19:09)
Res
MAEKITAさん、こんにちは。
そうですね。写真家の立場から見れば、「写真」とは、自己の選好にもとづいて切り取られた映像にちがいありません。
「作品」としての写真は何らかのメッセージや意味を持ちうるし、それを見る者が感得することも可能です。ただし、人間の脳が視覚に感受されたすべての情報を「意識」の領域に届けているわけではなく、あらかじめ情報を取捨選択しているのとちがい、カメラが映し出した映像は死角のない・情報過剰な・もの自体の多義性の痕跡を照らし出します。絵画と根本的に異なるのは、予期しないディテールの傍若無人な氾濫にあると言えるかもしれません。
バルトにしても、ソンタグにしても、思想家系の論者は「写真」を、そのような多義性に注目して論じる傾向にあるようです。
私としては、そのような多義性と、芸術家によって確立された「作品」性と、両方の側面に魅力を感じているので、写真家が言論レベルでは「写真って結局なんなのよ?」と悩みながら街をさまよっているような、そんな領域で制作された「作品」が好きです。
(09/9/4 19:26)
Res
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